社会人になってから、趣味がなくなった。
そんなふうに感じている人は、意外と多いのかもしれない。
学生のころはゲームに夢中になったり、映画を観たり、音楽を聴いたりしていた。それが働き始めると、平日は仕事をして帰るだけ。休日も、疲れを取っているうちに終わってしまう。
好きなものが完全になくなったわけではない。
ただ、それを始める気力が残っていない。
自分にも、そんな時期があった。
ブラック企業で働いていたころは、趣味を楽しむ余裕がほとんどなかった。ゲームはふんわり続けていたけれど、映画はあまり観ていなかったと思う。
映画を一本観るには、作品を選んで、二時間ほど画面に向き合う必要がある。それよりも、ネットを眺めたり、短い動画を流したりする方が楽だった。
あのころの自分は、趣味を失ったのではない。
趣味までたどり着く余力を、仕事に持っていかれていたのだと思う。
運営者のSOSSUです。
アラフォー会社員です。
Fラン卒→就活失敗→フリーター・ニート期を経て、いまはプライム上場企業でECサイト運営をしています。
朝5時台に起きて、筋トレと副業ブログを約3年継続中。
会社の人間関係お金や将来にビビり散らかしてきた側の人間として、「会社だけに人生を握られないように少しずつ人生の主導権を取り戻す」ための考え方や行動を発信しています。
サイドFIREを目標に日々を積み重ねています。現在世帯資産約2,500万。
社会人になって趣味がなくなったのではなく、余裕がなくなった
仕事で疲れていると、好きなことすら面倒になる。
観たい映画はある。ゲームの続きも気になっている。それでも、帰宅して食事や風呂を済ませると、もう何かを始める気力がない。
スマホを手に取り、ネットやYouTubeを何となく眺めているうちに夜が終わる。
休日も、寝て起きて、スマホを見て、酒を飲んでいると驚くほど早く過ぎていく。翌週になれば、何を見ていたのかほとんど覚えていない。
何も考えずに過ごす時間が必要な日もある。それ自体を無駄だとは思わない。
ただ、それだけで休日が終わると、「休めた」という満足感より、「また一日が消えた」という薄い後悔が残ることがある。
子どもが生まれてからは、時間の流れをさらに早く感じるようになった。
昨日まで赤ちゃんだったような気がするのに、いつの間にか歩き、話し、毎日少しずつ成長していく。その姿を見ていると、自分の時間も同じように進んでいるのだと実感する。
余暇は、何もしなくても与えられる空白ではない。放っておけば、いつの間にか消えてしまう時間だ。趣味がないと悩む前に、まずは好きなことを楽しめる余力が残っているか、考えてみてほしい。
仕事で消耗し、好きなことまで楽しめなくなっているなら、まずは自分を戻すことから始めていい。→仕事でメンタルが弱いと感じる人へ。必要なのは強さより「回復の仕方」かもしれない
スマホは時間を消費し、趣味は余韻を残す
今の自分は、自由な時間があれば映画を一本観たり、ゲームを進めたりするようになった。
時間に余裕ができたからではない。むしろ、使える時間が限られているからだ。
休日は朝にジムへ行き、子どもを保育園へ送り、ブログなどの作業をする。昼食を食べて、そこからお迎えまでの三時間ほどが、自分の趣味に使える時間になる。
その時間を何となくスマホで過ごせば、気づいたときにはもう迎えの時間だ。
でも、映画を一本観たり、ゲームの物語を少し進めたりすると、その日には何かが残る。
いい映画を観て、ジムで筋トレもできた日は、それだけで「今日はいい一日だった」と思える。
スマホや短い動画と、映画やゲームの違いは、使った時間の長さではない。
あとに余韻が残るかどうかだ。
映画を観れば、悲しい気持ちになることもある。物語を見届けたあとの清々しさが残ることもあれば、何日か経っても考えてしまう作品もある。
自分はオープンワールドや物語性のあるゲームが好きで、最近では『ゴースト・オブ・ヨウテイ』や『デス・ストランディング2』を遊んでいる。広い世界を歩き、登場人物と出会い、長い物語を追っていると、映画とはまた違う形で別の人生を体験している感覚になる。
映画やRPGが好きなのは、第二の場所へ旅行できるからなのだと思う。



現実逃避と言われれば、そうなのかもしれない。
でも、仕事で嫌なことがあった日ほど、現実から少し離れられる場所は必要だ。
別の世界へ行き、目の前の物語に集中し、気持ちを整えてから現実へ戻ってくる。そういう逃げ場所があるから、また日常を続けられることもある。
スマホを眺めた時間は、気づけば消えている。
映画やゲームに使った時間は、経験として残る。
趣味があると、休日がただ過ぎていく時間ではなく、自分が過ごした一日になる。
ゲームや趣味を、人生の経験値として考える感覚については、こちらの記事でも書いている。→人生はRPGだ。年齢とともに弱くなるだけのゲームなんてつまらない
趣味は、仕事以外の自分と誰かをつないでくれる
無趣味な人を、つまらない人間だと言いたいわけではない。
ただ、仕事のことしか知らない状態が続けば、誰かと話すときの引き出しは少なくなっていくと思う。
自分も、映画やゲーム、筋トレがきっかけで人と話が盛り上がったことが何度もある。
同じ作品を観ていたり、同じゲームを遊んでいたり、ジムへ通っていたりする。それだけで、今までほとんど話したことがなかった人との距離が縮まることもある。
仕事では、肩書きや立場が先に来る。
上司と部下、先輩と後輩、取引先と担当者。会社の中では、どうしても役割を通して相手を見ることが多い。
でも、映画やゲームの話をしているときは、その関係が少しだけ薄くなる。
「あの作品、よかったよね」
その一言から、年齢や役職を越えて話が広がることがある。
趣味は、自分の世界を広げるだけではない。
誰かの世界へ入っていくための、共通言語にもなってくれる。
趣味にまで「役に立つ理由」を求めなくていい
以前の自分は、映画やゲームに時間を使うことへ、どこか後ろめたさを感じていたと思う。
フリーターだったころは、何も決まらないまま時間だけが過ぎていくことをネガティブに捉えていた。
仕事に就いてからも、ブラック企業で疲弊しながら、「早く転職を成功させなければ」という焦りが頭から離れなかった。
自由な時間があっても、心から休める状態ではなかった。
最近は、映画やゲームに時間を使うことへの罪悪感がほとんどない。
朝にジムへ行き、子どもの送迎をして、ブログなどの作業も済ませる。自分でやると決めたことに取り組んだあとだから、残された数時間を趣味に使うことにも納得できる。
これは、やるべきことを済ませなければ趣味を楽しんではいけない、という話ではない。
休むのに資格はいらない。
ただ自分の場合は、朝活や副業、運動を三年ほど続けてきたことで、生活への納得感が以前より増えた。その変化が、趣味の時間を心置きなく楽しめることにもつながっている。
趣味を楽しめるかどうかは、自由時間の長さだけでは決まらない。
時間がたくさんあっても、焦りや罪悪感に追われていれば楽しめない。反対に、使える時間が三時間しかなくても、その時間を自分で選んだものに使えれば満足感は残る。
趣味は、努力から逃げるためのものではない。
努力を続ける人生を、息苦しくしないためにある。
映画やゲームが仕事の役に立つかどうかなんて、考えなくていい。
好きだからやる。
趣味には、それだけで十分な理由がある。
役に立たない趣味が、未来を楽しみに変えてくれる



少し前に、『ゲーム・オブ・スローンズ』のUHDコンプリートBOXを買った。
まだ開封すらしていない。
買ったのに観ていないなら意味がない、と言われるかもしれない。でも、自分の中ではすでに満足感がある。あの長大な物語を、観ようと思えばいつでも大画面とAtmosの音響で楽しめる。映画を一本観る時間が取れない日は、一話だけ観て、そのあとはゲームを進めてもいい。
昔、Prime Videoで観ていたころには、今のようなホームシアター環境はなかった。あの世界を現在の画質と音響で体験したら、どう感じるのだろう。
そう考えるだけでも楽しみになる。
いつか少しずつ観よう。
サイドFIREして時間に余裕ができたら、最初からじっくり見直すのもいい。
あのBOXを買ったとき、自分は作品だけでなく、未来の休日まで買ったのだと思う。
趣味は、今を楽しませるだけではない。
来週観たい映画や、少しずつ進めたいゲーム、いつか訪れたい場所があれば、未来にも小さな楽しみが残る。
自分がサイドFIREを目指しているのも、ただ会社を辞めたいからではない。
子どもと過ごす時間を増やしたい。映画やゲームを楽しみたい。ジムへ行き、ブログを書き、自分で選んだ時間をもっと持ちたい。
趣味が何もなければ、自由を手に入れたい理由まで薄くなるかもしれない。
趣味は、余った時間に仕方なくやるものではない。
何のために自由を求めるのかを、自分に教えてくれるものでもある。
自由な時間を何に使い、これからの自分をどう育てるか。そんな40歳からの生き方については、こちらの記事でも考えている。→40歳からの生き方を考える。全盛期はまだ先にある。
人生を豊かにする趣味は、立派である必要なんてない。
仕事の役に立たなくても、お金にならなくてもいい。
映画を一本観て、ゲームを少し進めて、「今日はいい一日だった」と思える。
それだけで、趣味は十分に人生を豊かにしている。












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