【新着】「努力できない」と悩んでいた私が、努力する人生の方が楽だと思う理由

会社では偉い。でも肩書がなくなったら何が残る?「会社=自分」は危ないと思う

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大きなオフィスビルを背に立つ会社員
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会社には、ときどきものすごく偉そうな人がいる。

役職が上だから偉そう、という意味ではない。部下への言い方がやたら強かったり、取引先に上から目線だったり、「俺はお前らとは違う」という空気を全身から出している人だ。

私の職場にもいる。ある課長は部下への指示がかなり強く、本人から「家では奥さんとほとんど会話がない」と聞いたことがある。普段の人への接し方を見ていると、失礼ながら「まあ、なんとなく分かるな……」と思ってしまった。

別の課長は、取引先や小さい会社を小馬鹿にしたような発言が多い。

私の勤めている会社はプライム上場企業で、それなりに規模が大きい。だから取引先との関係によっては、こちらの立場が強くなる場面もある。

でも、その態度を見ているとたまに思う。

それ、自分がデカいんじゃなくて会社がデカいだけじゃない?

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それ、自分が偉いんじゃなくて会社がデカいだけじゃない?

私は今の会社に入る前、小さい会社でも働いていた。

だからなのか、「大企業に勤めている人=仕事ができる人」という感覚があまりない。むしろ小さい会社では人数が少ないぶん、一人が担当する仕事の範囲がめちゃくちゃ広かったりする。営業だけ、企画だけ、管理だけではなく、必要なら何でもやる。

このあたりの違いは、大企業に転職して感じたことにも書いた。

もちろん会社によるし、人にもよる。でも実際に両方で働いてきた私からすると、小さい会社にめちゃくちゃ仕事のできる人がいることも知っているし、大企業にも「この人、会社の看板がなかったらどうするんだろう」と思う人は普通にいる。

だから、自分が大きな会社に入った途端、小さい会社の人を見下すような態度はどうも好きになれない。取引先が丁寧に接してくれるのも、部下が言うことを聞くのも、自分という人間が圧倒的に優れているからとは限らない。

名刺に書いてある会社名と役職に頭を下げているだけかもしれない。

もちろん役職に就くまで努力してきた人もいるし、管理職として責任を負っている人を否定するつもりもない。私が危ないと思うのは、会社から与えられた権限を、いつの間にか自分自身の力だと思い始めることだ。

仕事に打ち込むことと「会社=自分」になることは違う

ここは誤解されたくない。私は仕事に打ち込んでいる人を否定する気はまったくない。

一つの仕事を何十年も突き詰めて、高い専門性や技術を身につけている人は普通にカッコいいと思う。営業力でも、技術でも、マネジメントでも、その会社を離れても自分の中に残るものはある。

問題はそこではない。

「○○ができる自分」と「○○社の課長である自分」は、似ているようで違う。前者は会社を離れても自分についてくるかもしれないけど、後者は会社を離れたら終わる。

私の会社では60歳で役職を外れる、いわゆる役職定年がある。定年そのものや雇用期間は延びていく方向なのに、役職はその前に終わるわけだ。

そして私は、役職を外れた途端、それまで周囲にいた人がスーッと離れていく人を何人も見てきた。

昨日まで周りには人がいた。部下が相談に来る。取引先から電話が来る。会議では意見を求められる。でも役職がなくなると、それが急に減る。

役職を外れたあとオフィスで一人座る会社員

あれを見ると少し怖い。

その人についてきていたのか。それとも、その人の後ろにある役職についてきていただけなのか。

本人にとっては、たぶん簡単な話ではない。何十年も「部長」「課長」として扱われ続けていたら、それが自分自身の一部になるのも無理はないと思う。役職がなくなるというより、自分そのものを一部剥がされたように感じる人もいるはずだ。

だからこそ、肩書があるうちから少しだけ切り分けておいた方がいいんじゃないかと思う。

仕事で身につけた経験や能力と、会社から一時的に借りている立場を。

会社が必要でも、会社以外の自分は持っていたい

こういう話を書くと、「じゃあ会社なんてどうでもいいんですね」みたいな話になりがちだけど、全然そんなことはない。

私だって明日いきなり会社をクビになったら普通に困る。資産形成もまだ途中だし、「大丈夫、私には映画と筋トレがある!」と言いながら住宅ローンや生活費を払えるわけでもない。

そんな筋肉にはまだなっていない。

会社から給料をもらっている以上、経済的にはかなり会社に依存している。でも、生活を会社に頼ることと、「自分が何者なのか」まで全部会社に決めてもらうことは別だと思っている。

会社への依存をいきなりゼロにはできないけど、会社に依存しないために私がやってきたことは別の記事に書いている。

私には家族がいる。映画が好きだし、ゲームもする。筋トレもする。ブログも書く。資産形成もしているし、会社とは関係のない友人もいる。

別に「会社を出ても私はこんなにすごいぞ」と言いたいわけではない。全部たいしたものじゃなくてもいい。

会社員の自分、父親の自分、夫の自分、映画を見て喜んでいる自分、ジムで重量が伸びて喜んでいる自分、朝からブログを書いている自分。いくつかの自分がある。それだけでいいと思う。

これからAIや自動化が進めば、今の仕事や組織の形だって変わっていくかもしれない。AIがどこまで仕事を代替するのか、人間に仕事が必要なくなる社会が本当に来るのかは分からない。

その辺の未来の話は、AI時代に「哲学」と「筋トレ」が必要だと思う理由でも好き勝手に考えた。

でも少なくとも、「今の会社で、今の役職のまま、今と同じ仕事をずっと続ける」という前提は、以前より置きにくくなっている。だから私は、会社一本に自分のアイデンティティを全振りするのは、これからますます危うくなると思っている。

会社で偉くなることが悪いんじゃない。仕事を頑張ることも悪くない。

ただ、その肩書を外した自分まで空っぽにならないようにはしておきたい。

会社名も、役職も、部下もなくなったとき、自分には何が残るんだろう。

その問いに何も浮かばないなら、会社でどれだけ偉くても、ちょっと危ないんじゃないかと思う。

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