筋トレをしている人に対して、
「そんなに鍛えて、何目指してるの?」
と聞く人がいる。
ボディビルの大会に出るの?
何かスポーツでもやってるの?
そういう意味なんだろう。
もし私が同じことを聞かれたら、正直うまく答えられない。
大会に出るつもりはないし、ボディビルダーを目指しているわけでもない。今より少し身体が良くなれば嬉しいけれど、「ここまで到達したら筋トレ終了」という明確なゴールがあるわけでもない。
じゃあ、筋トレの目的は何なのか。
健康のため。
体力をつけるため。
見た目を良くするため。
どれも間違ってはいない。
でも、何年か続けてきた今の感覚としては、それだけでもない気がしている。
朝からジムへ行って、昨日より少し重いものを持ち上げる。気乗りしない日でも、とりあえず最低限はやる。そして帰る頃に、「今日もちゃんとやったな」と思う。
最近は、その感覚自体が筋トレを続ける理由になっている。
何かになるためじゃなくてもいい。
自分で自分を少し評価できるなら、それだけでも筋トレをする意味は十分にあるんじゃないかと思っている。
運営者のSOSSUです。
アラフォー会社員です。
Fラン卒→就活失敗→フリーター・ニート期を経て、いまはプライム上場企業でECサイト運営をしています。
朝5時台に起きて、筋トレと副業ブログを約3年継続中。
会社の人間関係お金や将来にビビり散らかしてきた側の人間として、「会社だけに人生を握られないように少しずつ人生の主導権を取り戻す」ための考え方や行動を発信しています。
サイドFIREを目標に日々を積み重ねています。現在世帯資産約2,500万。
「何目指してるの?」という質問が、少しズレていると思う
「何目指してるの?」と聞かれると、筋トレには何か明確なゴールが必要なように感じる。
大会に出るとか、ベンチプレスで何キロ上げるとか、体脂肪率を何%まで落とすとか。そういう目標がある人もいるし、それはそれで分かりやすい。
ただ、私の場合は少し違う。
筋トレを始めた頃は、今より身体を良くしたいとか、体力をつけたいという目的があったし、その気持ちは今も変わっていない。でも、何年も続けているうちに、それだけでは説明しきれないものになってきた。
今日は胸をやる。次は背中をやる。少し前より重い重量が上がれば嬉しいし、調子が悪い日は無理をせず軽めで終える。
そんなことを繰り返しているうちに、筋トレは「何かを達成するために頑張るもの」というより、自分の生活の中にある普通の習慣に近づいてきた。
もちろん、歯磨きのように何も考えずできるほどではない。今日は面倒だなと思う日もあるし、ジムへ行くまで少し時間がかかることもある。
それでも、毎回「この先に何があるんだろう」と考えながらやっているわけではない。
だから「筋トレの目的は?」と聞かれれば、健康のため、見た目のため、体力を維持するため、といくつか答えることはできる。でも、「最終的に何を目指してるの?」と聞かれると、やっぱり少し困る。
たぶん私は、どこかに到達するためだけに筋トレを続けているわけではないからだ。
筋トレをした日は、「今日もやったな」と自分なりに納得できる。
今は、その感覚も含めて筋トレを続ける理由になっている。
人から褒められるより、自分で「よくやった」と思える方が嬉しい
筋トレを続けていると、たまに身体の変化に気づいてもらえることがある。「鍛えてますよね」とか、「身体大きくなりました?」とか。そう言われれば普通に嬉しい。
でも、それを言ってもらうためにジムへ行っているかというと、全然違う。
この感覚をうまく言葉にしてくれたのが、プロゲーマーのウメハラだった。
ある配信で、長い時間と情熱を注いだものを、なぜスパッと手放せるのかという話をしていた。ウメハラは麻雀にも数年間かなり本気で取り組み、最初はまったく勝てなかったところから、ようやく勝てるところまでたどり着いた。
普通なら、そこまで時間も労力もかけたものは、なかなか手放しにくいと思う。
それでも彼は、その後麻雀から離れた。
その理由を説明する中で、「人からすごいと思われることより、自分で自分をすごいと思えることの方が価値がある」という趣旨のことを話していた。
自分の中で「よくやったな」「またやりきったな」と思えた。だから、そこで得た実績や評価にしがみつかなくてもよかったのだという。
この話を聞いたとき、かなり腑に落ちた。
筋トレも少し似ている。
朝起きて、今日はだるいなと思いながらもジムへ行く。前回より少し重い重量に挑戦したり、調子が悪い日でもできる範囲ではやる。その一つひとつを、別に誰かが見ているわけじゃない。
それでも帰る頃には、「今日も行ったな」「俺、まあまあ頑張ってるな」と思える。
誰かから褒めてもらうことも嬉しいけれど、自分で自分を評価できる感覚は、それとは少し種類が違う。
人に見せなくても成立するし、誰かが褒めてくれない日にも残る。
たぶん私は、筋トレで手に入る身体そのものと同じくらい、この感覚が好きなのだと思う。
自分が自分を評価できれば、それで十分なのかもしれない
ウメハラの話で特に印象に残っているのは、自分で自分を評価できるようになると、他人からの評価にそこまで振り回されなくなる、という部分だ。
誰かに褒めてもらえたら嬉しいし、認めてもらえたら気分もいい。でも、それがないと自信を持てない状態だと、ずっと外から評価を補給し続ける必要がある。
「こんなことができる」「こんな実績がある」と人に見せて、そこでやっと安心できる。
それに比べて、自分がやってきたことを自分自身が分かっているなら、少し話が変わる。
筋トレなら、何年も続けてきたことも、気乗りしない日にジムへ行ったことも、自分が一番よく知っている。誰かに見てもらわなくても、その積み重ねまでなくなるわけではない。
この「続けてきた事実が自信になる」という感覚については、ランニングから筋トレへ移っていった経験とあわせて、こちらの記事でも書いている。→「努力できない」と悩んでいた私が、努力する人生の方が楽だと思う理由
これは筋トレだけの話でもない気がする。
早起きして自分の時間を作ることも、ブログを書くことも、誰かに褒められるためにやっているわけではない。
もちろん、結果が出れば嬉しい。ブログならアクセスが増えたり、収益が出たりすれば、それに越したことはない。
でも、それとは別に「今日も自分なりにやったな」と思えること自体に、小さな満足がある。
たぶん、そういうものが少しずつ増えると、他人からどう見られるかは以前ほど重要ではなくなっていく。
だから「筋トレして何目指してるの?」と聞かれても、やっぱり明確な答えはない。
大会に出たいわけでもないし、どこかの誰かになりたいわけでもない。
ただ、これからもできる範囲で続けて、そのたびに「今日もやったな」と思えればいい。
別に、何も目指してなくてもいい。
自分が自分を少し評価できるなら、それだけでも続ける理由としては十分だと思っている。












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