大学生の頃、男女でワイワイ遊んでいる人たちを見ると、心のどこかで「チャラチャラしやがって」と思っていた。大人数でBBQをしたり、飲みに行ったり、いつも誰かと一緒にいたり。いわゆる「リア充」と呼ばれるような人たちだ。
別に自分がずっと一人だったわけではない。彼女がいた時期もあるし、一人暮らしの友達の家に集まって、徹夜でサッカーゲームをしたりと、それなりに大学生らしい遊び方もしていた。それでも、大人数の男女で楽しそうにしている人たちを見ると、「チャラチャラして頭悪そうなヤツらだな」と、わりと本気で思っていた。
今書くと我ながら性格が悪い(笑)。でも、たぶんそれが当時の正直な感情だった。当時の私は、それを嫉妬だとも、羨ましいとも思っていなかった。「自分とは合わない人たち」というくらいに考えていた気がする。
ただ、今になって振り返ると、本当にそれだけだったのかは少し怪しい。あの妙な苛立ちの中には、羨ましさや嫉妬も混ざっていたんじゃないかと思う。
不思議なのは、いつからか、そういう人たちを見てもほとんど何も感じなくなったことだ。「リア充もいいよね」と考え直したわけでも、「一人でいる方が偉い」と思うようになったわけでもない。本当にどうでもよくなった。
何が変わったのか。
振り返ってみると、どうやら休日の過ごし方や人付き合いだけの話でもなさそうだった。今回は、「チャラチャラしやがって」と思っていた自分が、なぜ人と比べることをあまり気にしなくなったのかを考えてみたい。
運営者のDaisukeです。
アラフォー会社員です。
Fラン卒→就活失敗→フリーター・ニート期を経て、いまはプライム上場企業でECサイト運営をしています。
朝5時台に起きて、筋トレと副業ブログを約3年継続中。
会社の人間関係お金や将来にビビり散らかしてきた側の人間として、「会社だけに人生を握られないように少しずつ人生の主導権を取り戻す」ための考え方や行動を発信しています。
サイドFIREを目標に日々を積み重ねています。現在世帯資産約2,500万。
本当に羨ましかったのは、BBQじゃなかった
では、自分は彼らの何にそこまで反応していたんだろう。大人数の男女でBBQをしたり、飲みに行ったり、休日の予定が埋まっていたり。
冷静に考えると、自分が本当にそういう生活をしたかったのかというと、たぶん違う。たまに参加するなら楽しかったと思う。でも、毎週のように大人数で集まったり、知らない人もいる飲み会に顔を出したりする生活は、自分にはかなり疲れる。つまり、欲しかったのはその遊び方そのものではなかったのだと思う。
友達が多い。異性との交流もある。休日には予定が入っていて、なんとなく人の輪の中で人生を楽しんでいるように見える。そういう「外から見ても分かりやすい充実」に、自分は反応していたんじゃないかと思う。
もちろん、当時そんなふうに整理して考えていたわけではない。むしろ「あいつら楽しそうでいいな」と素直に思う代わりに、「チャラチャラして頭悪そう」と一段下に見ることで、自分の中のモヤモヤを処理していた部分もあったのかもしれない。
そして大学を卒業してからは、人と比べる材料がさらに増えていった。仕事、収入、暮らし方。リア充への妙な苛立ちは、いつの間にかもっと広いコンプレックスともつながっていったように思う。
人と比べてしまうのは、自分に自信がなかったからかもしれない
リア充に対する引っかかり自体は、大学生の頃からあった。だから、すべてを仕事や収入のコンプレックスで説明することはできない。
ただ、大学を卒業してからは、そこに別の比較も加わっていった。周りが就職していく中で、自分はローソンでアルバイトをしていた。ようやく就職できたのは30歳手前で、最初の給料は額面で10万円台。4年以上働いても20万円前半だった。
その頃になると、友達が多いとか休日が楽しそうとかいう話だけではなく、仕事や収入まで含めて「自分は人より遅れている」という感覚があったと思う。就職で遠回りした頃のことは、「普通の人生」というレールから外れても終わりではなかった話として、別の記事に詳しく書いている。
新卒で普通に就職して、それなりの給料をもらって、休日も楽しそうに過ごしている人を見ると、全部ひっくるめて「人生うまくいってそう」に見えた。今振り返ると、リア充への嫉妬も、そういうコンプレックスとどこかでつながっていたのかもしれない。
今の私は、他人と比べるより自分自身と勝負した方がいい、みたいなことをブログで書いている。でも、昔からそんな人間だったわけではない。むしろ、かなり人と比べる側だった。
そこから仕事ではWEBという専門領域で経験を積み、転職して、ようやく「自分もそれなりにやれている」と思える環境まで来た。ランニングや筋トレを続け、早寝早起きも生活の一部になった。お金についても勉強して、資産形成を続けてきた。
一つひとつは地味だけれど、昔の自分と比べれば「まあ、それなりにやってきたな」と思えるものは増えた。そして気づけば、他人を見て「こいつの方が人生充実してそうだな」と考えることも、以前よりずっと減っていた。
自分に自信がついたから、人と比べなくなったのか。それとも、自分のやるべきことに集中するようになった結果、人と比べる時間が減り、その積み重ねが自信になったのか。正直、どちらが先だったのかは自分でもよく分からない。
ただ、自分の人生に納得できる部分が増えるほど、他人の「充実してそう」はどうでもよくなっていった。そこは、たぶん間違っていない。
たぶん、欲しかったのは「リア充」そのものじゃなかった



今になって考えると、私は本当にリア充になりたかったわけではないのだと思う。大人数でBBQをしたいわけでも、毎週のように飲み会へ行きたいわけでもない。友達が多ければ多いほど幸せだとも思わない。
それなのに、昔はそういう人たちが妙に気になった。たぶん彼らが持っているように見えた、「人生を楽しめている感じ」が羨ましかったのだと思う。
自分より人間関係が充実している。恋愛もうまくいっていそう。仕事も普通にやっていて、休日も楽しそう。
実際に相手がどんな生活をしていて、どんな悩みを抱えていたのかなんて分からない。それでも自分に自信がなかった頃は、そういう外から見えるものだけで相手の人生を勝手に高く評価して、その分だけ自分を低く見ていたのかもしれない。
今は、そこがかなり変わった。
別に何もかも上手くいっているわけではないし、今でもブログをサボる日はある。せっかく自由な時間があったのに、スマホや動画をなんとなく見ているうちに時間がなくなり、本当は観たかった2時間を超える映画を諦めて、90分くらいの作品に変えることだってある。
逆に、朝ジムへ行って、やろうと思っていた作業もして、そのうえで好きな映画やゲームまで楽しめた日は、「今日はいい一日だったな」と思える。他人から見れば、別に華やかな一日ではない。でも、自分が何をしたら満足できるのかは、昔よりずっと分かるようになった。
だからリア充を見ても、今は本当にどうでもいい。嫌いでもないし、「自分の方が正しい」と思っているわけでもない。ただ、他人の人生を見ながら、自分の人生が足りているかどうかを確認する必要がなくなった。
人と比べないようにしよう、と必死に言い聞かせたわけでもない。気づいたら、前ほど比べる必要がなくなっていた。
昔の自分が欲しかったのは、BBQでも、友達の多さでもなかった。
たぶん、「自分の人生もけっこう悪くない」と、自分で思える感覚だったのだと思う。













コメント