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ブルシット・ジョブは労働者の生存戦略だ。クソどうでもいい仕事がなくならない理由

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誰も読まない会議資料を作り続ける会社員のイメージ
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会社には、クソどうでもいい仕事が結構ある。

例えば、定例会議の資料作成。誰も読んでいないし、フィードバックもない。何かの意思決定に使われている実感もないのに、毎回せっせと資料を作っている。

ほかにも、上司の顔色をうかがうための社内調整なんてものもある。エンドユーザーには何の関係もない話なのに、あちこちに根回しして、機嫌を損ねないように進めなければならない。正直、つまらないし、時間の無駄だと思う。

じゃあ、なくせばいいじゃないか。ところが、私自身も積極的になくそうとは思わない。

無駄な資料を作るのも嫌だけど、「それやめたら、代わりに何するの?」と聞かれる方がもっと面倒だからだ。我ながら、身勝手な話だと思う。

でも、ひょっとすると、これこそが無駄な仕事がなくならない理由なんじゃないだろうか。

目次:読みたい部分からどうぞ
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ブルシット・ジョブとは?クソどうでもいい仕事の正体

ブルシット・ジョブとは、文化人類学者デヴィッド・グレーバーが提唱した概念だ。簡単に言えば、働いている本人ですら必要性を感じていないのに、意味のある仕事であるかのように振る舞わなければならない仕事のこと。単に退屈な仕事や、やりがいのない仕事とは少し違う。

例えば、誰も必要としていない報告書を作ったり、上司を偉く見せるためだけの業務をこなしたり。仕事をしていることを証明するための仕事、と言ってもいいかもしれない。

ちなみに、グレーバーの主張には批判もある。実際にどれほどの人が無意味な仕事をしているのかについては、研究者の間でも議論がある。

それに、私の仕事が丸ごとブルシット・ジョブというわけではない。ECサイトの運営には、お客さんに商品を届けるという役割がある。問題なのは、その中にクソどうでもいい業務がいくつも紛れ込んでいることだ。

そして、厄介なのはここからである。無駄だと分かっていても、誰も積極的になくそうとしないのだ。

クソどうでもいい仕事は、労働者を守っているのかもしれない

最初に断っておくと、私の会社はかなりホワイトだと思っている。休みは取りやすいし、残業もほとんどない。残業代は1分単位で支給されるし、給料にも大きな不満はない。以前はブラック企業で働いていたので、今の環境がどれほど恵まれているかは理解しているつもりだ。

ただ、仕事が面白いかと聞かれると、正直そうでもない。やりがいや成長を感じる機会は少ないし、先ほどのような無駄な業務もある。とはいえ、定時で帰れて給料も保証されている。家庭を持つ40歳の会社員としては、これだけでもありがたい環境だ。仕事がつまらないときにどう割り切るかは、以前の記事でも考えた。

だから、無駄な資料作成にもそこまで腹を立てていない。慣れた作業なら、それほど頭を使わずにこなせる。

では、その仕事をなくしたらどうなるだろう。会社としては、無駄な業務が一つ減って喜ばしい。でも、私が早く帰れるわけじゃない。

むしろ、空いた時間に別の仕事を振られるかもしれない。それが今より難しい仕事だったら、かえって負担が増えることになる。だったら、今のままでいいじゃないか。

上司の側にも似た事情があるのかもしれない。今まで続けてきた業務を廃止するには、判断や説明が必要になる。それなら、従来どおり続ける方が楽だ。結局、みんな面倒なことは避けたいのだ。

さらに考えると、無駄な仕事を徹底的になくした先には、人員削減だってあり得る。企業が少ない人数で同じ成果を出せるようになれば、これまでと同じ人数を雇い続けるとは限らない。

もちろん、無駄な仕事を減らせば必ず雇用が減る、という話ではない。新しい仕事が生まれることもあるだろう。ただ、働く側がそうした可能性を直感的に感じ取り、変化を避けようとすることは十分考えられる。

クソどうでもいい仕事は、会社にとっては無駄でも、労働者にとっては一種の生存戦略になっているのかもしれない。

考えてみれば、私もその一人だ。無駄な仕事が嫌だと言いながら、なくすために自分から動こうとはしない。会社のために効率化を進めたところで、自分にメリットがあるとは限らないからだ。

自分のブログでは、むしろ無駄な仕事をなくしたい

ところが、会社を離れると話はまったく変わってくる。私は会社員として働きながら、このブログを運営している。ChatGPTを使い始めて、もう3年ほどになるだろうか。

自宅でAIを活用しながらブログを制作する会社員のイメージ

ここ数か月のAIの進歩には、本当に驚かされている。以前は相当な時間がかかっていた記事制作やサイト改善が、今ではずっと短い時間でできるようになった。

最近なんて、AIと雑談しながらエッセイの構想を練り、記事を作り、サイト構造を全面的に見直し、Xの運用まで進めている。以前のAIでは、ここまでのことを同時に進めるのは難しかった。しかも、作業時間は以前より減っている。

これは私にとって、明らかな生産性の向上だ。そして、何よりうれしいのが、作業時間が減った分だけ、自分の自由時間が増えること。

映画を観てもいいし、ゲームをしてもいい。家族と過ごしてもいいし、さらにブログを改善してもいい。全部、自分で決められる。

ところが、会社でAIを使って資料作成を効率化しても、こうはいかない。2時間の仕事が30分で終わったところで、1時間30分早く帰れるわけじゃない。仕事が終われば、また別の仕事をするだけだ。

ここに、会社員と個人事業主の大きな違いがあると思っている。もちろん、個人事業主にも収入の不安定さや仕事を獲得する苦労がある。効率化したからといって、必ず自由時間が増えるわけでもない。

それでも、自分で仕事量や時間を調整できる働き方には魅力を感じる。

同じAIを使っているのに、会社では無駄な仕事をなくしたがらず、自分のブログでは積極的に効率化している。この違いは何なのだろう。

結局、生産性が上がったことで得られるものが違うのだと思う。会社の仕事では、効率化の恩恵がそのまま自分の自由時間になるとは限らない。でも、自分の活動なら、浮いた時間をどう使うかは自分で決められる。

私がサイドFIREを目指しているのも、突き詰めればそういうことなのだろう。会社員としての安定はありがたい。でも、自分の時間を自分で決められる暮らしにも憧れている。

AIが仕事を減らした先に、何が待っているのか

グレーバーがブルシット・ジョブを問題にした背景には、技術が進歩しても人間の労働時間がなかなか短くならないことへの疑問があった。

そして今、AIが急速に進歩している。今まで人間が時間をかけていた仕事の多くが、今後さらに効率化されていくだろう。でも、それで私たちの労働時間は短くなるのだろうか。

仕事が減った分、早く帰れるようになるのか。それとも、少ない人数で同じ仕事をこなすようになるのか。あるいは新しい仕事が生まれ、結局はこれまでどおり働き続けるのか。未来がどうなるのかは分からない。

ただ、一つ皮肉だと思うことがある。人間は面倒な仕事を減らすために技術を進歩させてきたはずなのに、いざ仕事がなくなりそうになると、それを恐れてしまう。今の社会では、仕事を失うことが収入を失うことにつながるのだから、当然といえば当然だ。

私だって、家族を養う立場でなければ、もっと自由に仕事を選んでいたかもしれない。今の会社に不満が少ないとはいえ、やりがいや成長を求める気持ちがなくなったわけではない。だからこそ、副業に挑戦したり、読書や筋トレなどの自己研鑽にも励んでいる。

仕事そのものが嫌いなわけじゃない。むしろ、自分の興味があることなら、時間を忘れて没頭することもある。ただ、その時間を誰かに決められるのではなく、できることなら自分で決めたい。

これからAIがもっと賢くなり、必要な仕事が減っていくのなら、その恩恵はどこへ向かうのだろう。企業の利益になるのか。働く人の収入が増えるのか。それとも、私たちの自由時間が増えるのか。

私は今日も、会社でクソどうでもいい資料を作っている。一方、家に帰れば、AIを使って自分のブログの作業をせっせと効率化している。前者では無駄を残し、後者では無駄をなくそうとしている。

結局、私が欲しいのは「仕事がなくなること」ではなく、自分の時間をどう使うか、自分で決められることなんだと思う。

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