最近、私は3300年以上前に生きたエジプト王妃のことで、すっかり夢中になっている。
ネフェルティティ。名前と有名な胸像くらいは知っていたけど、彼女の墓がいまだに見つかっていないことは最近まで知らなかった。しかも、その墓が世界で最も有名な王墓の一つ、ツタンカーメンの墓の奥に眠っているかもしれないという。
さらに、2026年9月には新しい調査結果が発表され、隠された通路や部屋が存在する可能性が再び浮上した。9月23日時点では、研究チームがエジプト考古最高評議会へ調査許可を申請中で、許可が出れば早ければ11月にも小さな穴からカメラを入れ、内部を確認できる可能性があるという。
これを知ってから、続報が気になって仕方がない。もし本当にネフェルティティの王墓が見つかったら、とんでもないことになるんじゃないか。
そんな興奮からいろいろ調べていたら、もう一つ興味を引かれる話に出会った。この王墓の存在を、2015年から追いかけている研究者たちがいるのだ。
ツタンカーメンの墓は、もっと大きな王墓の「前座」だったのかもしれない



撮影:Tarekheikal / Wikimedia Commons、CC BY-SA 4.0
1922年、イギリスの考古学者ハワード・カーターが発見したツタンカーメンの王墓。
黄金のマスクをはじめとする膨大な副葬品が発見され、世界中を驚かせた、考古学史に残る大発見だ。古代に盗掘された形跡こそあったものの、ほかの王墓と比べて多くの副葬品が残されていたことも、この発見を特別なものにしている。
ところが、そのツタンカーメンの墓は、ファラオの墓としては妙に小さい。
2015年、エジプト学者のニコラス・リーヴスが、王墓の壁に塞がれた出入口の痕跡があるのではないかと指摘した。ツタンカーメンの墓は、もともと別の王族のために造られた大きな墓の一部で、彼が若くして亡くなったために急きょ転用されたのではないか、という仮説だ。
そして、奥に眠っている可能性がある人物として挙げたのが、ネフェルティティだった。
これ、もし本当だったらヤバくないだろうか。
あの世界的な大発見だったツタンカーメンの墓が、実はもっと大きな王墓の入口にすぎなかったかもしれないのだ。
しかも、ネフェルティティは単に美しい胸像で知られる王妃ではない。



撮影:Staatliche Museen zu Berlin, Ägyptisches Museum und Papyrussammlung / Sandra Steiß、Wikimedia Commons、CC BY-SA 4.0
彼女の夫であるアクエンアテンは、古代エジプトの伝統的な宗教を大きく変え、太陽神アテンを中心とする宗教改革を進めたファラオだ。新しい首都アケトアテンまで建設した、エジプト史でも異色の人物である。
ネフェルティティはその宗教改革で重要な役割を担っていた。夫と対等な立場で宗教儀式を行う姿が描かれるなど、当時の王妃としては異例の存在感を示している。アクエンアテンの死後には、自らファラオとして統治した可能性まで議論されているが、碑文で確認された事実ではなく、その生涯には今も謎が多い。
そのネフェルティティの王墓が、まだどこかに眠っているかもしれない。
もし本当にツタンカーメンの墓の奥で発見され、しかも盗掘されずに残っていたとしたらどうだろう。
棺や副葬品だけでなく、彼女の名前が記された碑文や、本人と確認できるミイラまで見つかる可能性がある。そうなれば、彼女が本当にファラオになったのか、ツタンカーメンとどのような関係にあったのかなど、謎の多いアマルナ時代の歴史を解き明かす手がかりになるかもしれない。
もちろん、まだ何も確定していない。未知の空間が存在するかどうかさえ、議論が続いている段階だ。
それでも、想像してしまう。
100年以上前に発見され、世界中の研究者が調べてきたツタンカーメンの墓。その壁の向こうに、3300年以上もの間、現代人が誰も足を踏み入れていない空間が残っているとしたら。
そこに、当時の姿をとどめたネフェルティティの王墓が眠っていたとしたら。
考えるだけでワクワクする。
私は最近知った。でも、11年前から追っている人がいた
こんな話を知ったら、今すぐにでも壁の向こうを見せてほしいと思ってしまう。しかし、相手は3300年以上前の貴重な文化財だ。怪しいからといって、壁を壊して確かめるわけにはいかない。
2015年のリーヴスによる仮説発表後、レーダーを使った調査が何度も行われた。当初は隠し部屋の可能性を示す結果も出ていたものの、その後の調査では否定的な結果も報告された。2018年に実施され、2019年に公表された3度目のレーダー調査では、少なくとも墓の壁に直接隣接する隠し部屋の存在は、データから支持されないと結論づけられている。
それで話が終わったのかと思いきや、2026年になって再び動きがあった。
エジプトの元考古相マムドゥーフ・エルダマティらの研究チームが、地中レーダーや微小な重力の変化を利用した調査などを組み合わせ、ツタンカーメン王墓の周辺に未知の通路や部屋が存在する可能性を改めて示したのだ。リーヴスもこの新しい研究に参加している。
今回の調査では、壁のすぐ向こうに大きな空洞があるとは限らず、土砂などで埋まった通路がさらに奥へ続いている可能性も検討されている。ただし、外部の専門家からは、結論を出すにはまだデータが足りないという慎重な意見も出ている。
つまり、2015年から11年たった今も、壁の向こうに何があるのか分かっていない。
研究者たちの顔ぶれや調査方法は変わっているけど、リーヴスは11年前に発表した仮説を、今も検証しようとしている。
私はつい最近この話を知って、早く中が見たいとソワソワしている。それなのに、11年前から同じ謎を追い続けている人がいるのだ。
考古学者という仕事の面白さを、改めて考えさせられた。
あの壁の向こうが見たい。そんな仕事がある人生が羨ましい
私自身、これまでいろいろな仕事を経験してきたけど、一つの謎を10年以上も追い続けるような仕事をしたことはない。
もちろん、考古学者の仕事だって楽しいことばかりではないだろう。地道な調査やデータの分析もあれば、研究費の確保や関係機関との調整だって必要になる。何年も研究を続けた結果、当初の仮説が間違っていたと分かることもあるはずだ。
今回の調査だって、もし隠し部屋が見つからなければ、ネフェルティティの王墓を発見するという夢は実現しない。空間が存在したとしても、そこが空っぽだったり、まったく別の用途に使われていたりする可能性もある。
それでも研究を続けてきた。
実際にリーヴスがどんな気持ちでこの11年間を過ごしてきたのかは、本人に聞かなければ分からない。ただ、長年追い続けてきた仮説を今も検証しようとしている姿を見て、私は素直に羨ましいと思った。
自分がどうしても知りたいことを追いかける。それが仕事になっている人生って、幸せじゃないだろうか。
もし今回、本当にネフェルティティの王墓が見つかったら、一体どんな気持ちになるんだろう。自分が11年前に抱いた疑問から始まった研究が、3000年以上もの間、誰にも知られていなかった歴史を明らかにするかもしれない。
そんな瞬間に立ち会えるとしたら、想像するだけで興奮する。
もし実現したら、ぜひその瞬間を映像に残してほしい。最初にカメラが未知の空間を映し出したとき、研究者たちがどんな反応をするのか。発見されたものはもちろんだけど、私はその光景も見てみたい。
そして、もし世紀の大発見につながったなら、研究者たちにも相応の形で報われてほしいと思っている。
財宝の何%かを発見者に渡せ、という話ではない。長年研究を続けてきた人たちが、研究費や生活の心配をせず、その後も自分の追いたい謎を研究できるようになったら素敵だと思う。
もっとも、今回の調査で何も見つからない可能性もある。それでも、これほど長い時間をかけて一つの謎に取り組んできた人たちの姿には、惹かれるものがある。
好きな仕事というのは、毎日楽しく働ける仕事とは限らないのかもしれない。面倒なこともあるし、何年経っても答えが出ないことだってある。
それでも、自分がどうしても知りたいことや、実現したいことがある。
そんなものを持っている人は、やっぱり羨ましい。
自分にとっての「壁の向こう」は何だろう
とはいえ、誰もが考古学者のような仕事に就けるわけではない。私だって、明日から会社を辞めてエジプトの発掘調査に参加するつもりはないし、そんな知識も技術も持っていない。
ただ、今回の話を知ってから、自分にも何か夢中になって追いかけているものがあるだろうか、と考えるようになった。
例えば、このブログもその一つかもしれない。
そもそもブログを始めたのは、副収入が欲しかったからだ。将来的にはサイドFIREを実現して、会社への依存を減らしたい。そう考えて、朝の時間を使いながら記事を書いている。
とはいえ、何年後にどれだけ収益が出るのかなんて分からない。思うようにアクセスが伸びないこともあるし、時間をかけて書いた記事がほとんど読まれないことだってある。
それでも、今はブログそのものが結構面白い。
自分の経験を文章にしたり、気になったことを調べたり、考えがまとまらなくて何度も書き直したり。今回だって、ネフェルティティのニュースに興奮して調べていたら、いつの間にか研究者の生き方について考え始め、こうして記事を書いている。
ブログを始めた頃は、こんな記事を書くことになるとは思ってもいなかった。
この先、ブログがどこまで育つのか。自分はどんな文章を書けるようになるのか。会社に依存しない生活を実現できるのか。まだ分からないことばかりだけど、今はその先を見てみたいと思っている。
もちろん、考古学者が11年間追い続けてきた研究と、私のブログを同列に語るつもりはない。ただ、結果がどうなるか分からなくても、自分の意思で何かを追いかけている時間は、案外楽しいものだと思う。
そして、それは別に仕事である必要もない。趣味でも、副業でも、何かの勉強でもいい。誰かに評価されるわけでもなく、お金になる保証もない。それでも、自分がどうしても知りたいことや、やってみたいことがある。
そんなものが人生に一つでもあったら、毎日はもう少し面白くなるんじゃないだろうか。
少し前、このブログでAIやシンギュラリティについての記事を書いた。
AIがさらに進化し、人間の能力をあらゆる分野で上回るようになったら、私たちは何をして生きていくんだろう。そんなことを考えているうちに、最後は「自分が本当にやりたいと思えること」にこそ価値が残るんじゃないか、という結論にたどり着いた。
今回のネフェルティティの話を調べていて、思いがけず同じことを考えた。
将来、AIが考古学者に代わって膨大な資料を解析したり、地下構造を調べたりするようになるかもしれない。今回のような調査だって、AIによって進展するなら大歓迎だ。
でも、どれだけ技術が進歩しても、「私はあの壁の向こうを見たい」という気持ちまでAIに任せる必要はない。
何ができるかだけでなく、自分が何をしたいと思えるか。
未来のAIについて考えていたときと、3300年以上前の王妃を追いかける研究者たちを見ているとき。まったく違う話のはずなのに、私の中では同じところにつながった。
このあたりについては、以前書いた「AI時代に必要なスキルなんてない。シンギュラリティ前夜に必要なのは『哲学』と『筋トレ』だ」という記事でも考えている。
そして今、私はネフェルティティの王墓が見つかることを願っている。
実際に調査してみたら、何もないかもしれない。未知の空間が見つかったとしても、そこに眠っているのがネフェルティティとは限らない。
それでも、あの壁の向こうに何があるのか知りたい。
できれば、長年研究してきた人たちが、自分たちの手でその謎を解き明かす瞬間を見てみたい。
許可が出て、11月に本当にカメラが入るんだろうか。
続報が待ち遠しい。











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