最近、私はシンギュラリティやリバースエイジングについて考えることが増えた。
老化や損傷した細胞の状態を、より若い状態へ戻すことを目指す研究は、もうマウスだけの話ではない。2026年には部分的なエピジェネティック・リプログラミングを使った治療の第1相臨床試験が始まり、実際に患者への投与まで進んでいる。
このままAIと生命科学が進めば、自分たちの世代は150歳、ひょっとすると200歳という寿命を考える時代に入るんじゃないか。私はわりと本気でそう考えている。
そこで、ふと逆のことが気になった。
人間って、ここまでどれくらい寿命を伸ばしてきたんだろう。
未来の寿命を考えていたら、昔の子どもの死亡率が気になった
調べてみると、1921〜25年の日本人の平均寿命は男性42.06歳、女性43.20歳だった。2024年は男性81.09歳、女性87.13歳なので、この100年ほどで大きく伸びている。
もちろん、「昔の人はみんな40歳くらいで死んでいた」という単純な話ではない。
当時は乳幼児の死亡が多く、それが出生時の平均寿命を押し下げていた。実際、1921〜25年でも15歳まで生きた男性には平均42.31年、女性には43.12年の余命があった。
そこで、今度は乳児死亡率を調べてみた。
1950年の日本では、生まれた子ども1000人のうち約60人が1歳になる前に亡くなっていた。ざっくり17人に1人だ。
そして1960年でも30.7人。約33人に1人だった。
1960年。
これ、私の母が生まれた年だ。
江戸時代でも明治時代でもない。私にとっては、普通に家族の話である。
2024年の乳児死亡率は1.8まで下がっている。1960年と比べれば、およそ17分の1だ。



医学や公衆衛生が進歩した。数字だけ見れば、そういう話で終わる。
でも私は、この数字を見てまず「ああ、母が生まれた頃って、本当に大変だったんだな」と思った。
そして、その母を育てた祖父母のことを考えるようになった。
「子どもが無事に育つ」は、ずっと当たり前だったわけじゃない
自分にも子どもができてから、母親への見方は変わった。
子どもを育てるというのは、思っていた以上にいろいろな心配がある。病気をすれば気になるし、食事や学校のこともある。毎日の生活を回すだけでも、親になる前には見えていなかったことが山ほどあった。
そう考えると、母も本当にいろいろな苦労や心配をしながら、私を育ててくれたんだと思う。
しかも私は母子家庭で育った。経済的にも楽ではなかったはずだし、今の自分が親として生活しているからこそ、一人で子どもを育てることの重さも、昔よりは想像できるようになった。
子どもの頃は、そんなことまで考えない。
ご飯があって、学校に行って、欲しいものをねだったりする。自分にとっては、それが普通の日常だった。
でも親になった今なら、その「普通」を作るために、母がどれだけ考えて、働いて、心配してきたのかを想像できる。
そして今回、昔の乳児死亡率を調べたことで、その感覚がさらに一世代前まで遡った。
母が生まれた1960年でも、今よりずっと多くの子どもが1歳になる前に亡くなっていた。その時代に祖父母は母を育てた。そして母が私を育て、その自分にも今は子どもがいる。
もちろん、「昔の方が大変だったんだから、今の苦労なんて大したことない」と言いたいわけではない。今は今で別の大変さがあるし、昔と比べて我慢する必要もないと思っている。
ただ、子どもが無事に育つことも、病気になれば医療を受けられることも、最初から当たり前だったわけじゃない。
歴史を調べていたはずなのに、気づけば自分の家族のことを考えていた。
歴史を知ると、大切な人の人生まで少し違って見える
祖父のことは、昔から尊敬していた。
祖父母は広島に住んでいたけど、私が小さい頃は何度も大阪まで会いに来てくれた。祖父の足の上に自分の足を乗せて、ペンギンみたいに一緒に歩いて遊んだことも覚えている。



母子家庭だった私たちを金銭的にもかなり助けてくれた。私の学費も、祖父に支えてもらった部分がある。
だから、今になって初めて祖父のありがたさに気づいた、という話ではない。生きていた頃からずっと尊敬していた。
ただ、40歳になって昔の時代を調べたり、自分も親になったりしたことで、その尊敬の中身が以前より具体的になった気がする。
祖父は、今より大学へ進む人が少なかった時代に慶應大学まで進み、その後は高校の校長まで務めたと聞いている。詳しい経緯を、私はほとんど知らない。
なぜ大学へ行こうと思ったのか。当時どんな勉強をしていたのか。戦争をどう経験したのか。母を育てていた頃は、どんなことを考えていたのか。
今なら聞きたいことが山ほどある。
祖父は新しいものにも興味を持つ人だった。
まだパソコンが一般家庭に普及する前、ワープロを買って自分で使い方を覚えようとしていた。私が高校生になって初めてガラケーを持ったときも、興味深そうに眺めながら、維持費がいくらかかるのか聞いてきたのを覚えている。
当時の私は、そんな祖父の姿を特別なことだとは思っていなかった。
でも今になって考えると、祖父もまた、自分の人生の中で何度も時代が変わっていくのを見てきたんだろう。
祖父が亡くなったのは、私が高校生の頃だった。
その頃にはすでに尊敬していた。でも、高校生の自分には今のような質問は思いつかなかったし、自分が親になることも、40歳になって昔の寿命や医療について調べることも想像していなかった。
今なら、もっといろんな話ができたと思う。
一人前になった今の自分を見てほしかったし、自分の息子も一度見せてあげたかった。
歴史というと、何百年、何千年前の出来事を思い浮かべてしまう。でも、自分の祖父母が生きた時代だって、もう自分にとっては歴史になりつつある。
その時代を知ることで、もう会えない人の人生が以前より少しだけ立体的に見えてくる。
私は今回、それも歴史を学ぶ意味の一つなんじゃないかと思った。
歴史を学ぶ意味が、40歳になって少し分かった
若い頃の私にとって、歴史はどこか自分とは離れたものだった。
学校で年号や人物名を覚えて、テストが終われば忘れていく。もちろん戦争のことも習ったけど、自分が生きている時代とはずいぶん遠い出来事のように感じていた。
でも、実際に年代を見ていくと、それほど遠くない。
第二次世界大戦が終わったのは1945年。80年ほど前の話だ。知覧特攻平和会館の資料によれば、特攻隊員には17歳から32歳の人たちがいて、20歳の隊員だけを取り上げた企画展では132人の遺影が展示されたこともある。今の感覚なら、高校生や大学生と同じくらいの年齢だ。
もちろん、そうした死を美談にしたいわけではない。
ただ、自分たちが今こうして普通に働いて、家族と暮らして、休日には映画を見たりゲームをしたりできる。その少し前には、同じくらいの年齢の若者たちが戦争の中で命を落としていた時代があった。
そう考えると、今の生活を「最初からこうだった世界」とは思えなくなる。
医療も、衛生も、教育も、平和な社会も、いつの間にか自然に存在していたわけじゃない。その前に生きた人たちがいて、失敗や犠牲があって、少しずつ今につながってきた。
そして私の場合、歴史を調べたことで、それが家族の話にもつながった。
母が自分を育ててくれたこと。祖父母が母を育ててくれたこと。祖父が私たち家族を支えてくれたこと。
昔から感謝していたつもりだったけど、当時の社会や生活を知ると、その人たちがしてくれたことを前より具体的に想像できるようになった。
歴史を学ぶ意味って、こういうところにもあるのかもしれない。
昔の出来事を覚えるためだけではなく、自分が今いる場所が、どうやってできたのかを知ること。
自分より前に生きた人たちが何を経験して、何を残してくれたのかを知ること。
そうすると、今まで当たり前だと思っていたものの見え方も変わってくる。
私は未来のことを知りたくて、過去を調べ始めた。
そこで思いがけず出てきたのは、今の時代に生きていることへのありがたさと、自分より前を生きた人たちへの感謝だった。
40歳になって、歴史を学ぶ意味が少し分かった気がする。











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