こんにちは、SOSSUです。
突然ですが、私、映画鑑賞が趣味でして。
昔からちょこちょこ観てはいたんですけど、BAR1000っていうなかなか高性能なサウンドバーを買ったこともあって、ここ数年で映画熱がかなり高まりました。(めっちゃ音が映画館になります。オススメ)
Filmarksで映画の情報を集めたり、ホームシアターをコツコツ構築したりしながら、以前よりかなり映画を観るようになったんですよね。
そうやっていろんな作品に触れていく中で、自然と監督にも興味を持つようになりました。
その中で知ったのが、この二人の巨匠です。
リドリー・スコットとクリント・イーストウッド。
この二人、作品はもちろんなんですが、とにかく渋い。かっこいい。




で、年齢を知ってさらに驚くわけです。
リドリー・スコットは1937年生まれの88歳。
クリント・イーストウッドにいたっては、1930年生まれの95歳。(2026年現在)
え??いや、さすがに異常では?
だって、普通の感覚でいえば、60代でフルの労働は卒業というイメージがあるじゃないですか。
80代を超えたら、自分の足で元気に歩けていたら万々歳、みたいな感覚の人も多いと思います。
それなのにこの二人は、健康寿命を維持できるかどうかという年齢で、いまだにハリウッドの第一線で現役です。
しかも、映画というクリエイティブの代表格みたいな仕事を、です。




だって普通のおじいちゃんだったら、のんびりコタツでみかん食べて、元気な人でもせいぜいゲートボールしてるぐらいじゃないですか。
しかしリドリー・スコットなんて、2026年8月公開予定の最新作『ラスト・サバイバー』まで控えている。
もう意味がわからないレベルで現役です。
でも、だからこそ流石にかっこいいし、憧れますよね。
私は今年で40になります。
40代って、さすがにもう若いとは言いづらくなってくる年齢だと思います。
良くも悪くも現実が見えてきて、自分の限界とか、この先の人生とか、そういうものを意識し始める時期でもあるはずです。自分の場合は子どもも生まれて、人生の主人公が少しずつ自分から子どもに移っていくような感覚もあります。
その中でこの二人を見ていると、なんというか、勇気とか希望をもらえるんですよね。
年を取ることって、ただ衰えていくことだけじゃないのかもしれない。
ちゃんと積み上げていけば、年齢は深みや渋さにも変えられるのかもしれない。
そう思わせてくれるものが、この二人にはあります。
どうしたら、こんなふうに年を重ねられるのか。
自分も人生の晩年は、こんなジイさんになれたら最高だなと思います。
ということで今回は、リドリー・スコットとクリント・イーストウッドが、なぜあの年齢でも老け込まず、現役でいられるのか。そして、そこから僕らは何を学べるのかを考えてみたいと思います。
運営者のSOSSUです。
アラフォー会社員です。
Fラン卒→就活失敗→フリーター・ニート期を経て、いまはプライム上場企業でECサイト運営をしています。
朝5時台に起きて、筋トレと副業ブログを約3年継続中。
会社の人間関係お金や将来にビビり散らかしてきた側の人間として、「会社だけに人生を握られないように少しずつ人生の主導権を取り戻す」ための考え方や行動を発信しています。




それでは言ってみましょう!
リドリー・スコットとクリント・イーストウッドは、なぜあそこまで老け込まないのか



リドリー・スコットとクリント・イーストウッドを見ていると、まず思うのは、この人たち、さすがに老け込まなさすぎるだろ ということです。
もちろん、ただ元気なおじいちゃんという話ではありません。
この二人が異常なのは、あの年齢でまだ第一線にいて、しかも映画という体力も知力も感性も必要な世界で、いまだに“創る側”に立っていることです。
しかも、若作りしている感じはない。
むしろ年齢を重ねたぶんだけ深く、渋く、かっこよくなっているように見える。
だからこそ私は、この二人を見ると、すごいを通り越して少し希望を感じます。
年を取ることって、ただ衰えていくことだけじゃないのかもしれない。
この章では、まずその異常さとかっこよさの正体を整理していきます。
普通なら余生を送っている年齢で、まだ“創る側”にいる
リドリー・スコットとクリント・イーストウッドのすごさって、単に長生きしていることじゃないんですよね。
もちろん、88歳とか95歳まで元気でいるだけでも十分すごいです。
でもこの二人の異常さは、そこでは終わりません。
だって普通の感覚でいえば、60代でフルの労働は一区切り、80代を超えたら元気に歩けているだけでもかなり立派、というイメージがあるじゃないですか。少なくとも私はそうです。
それなのにこの二人は、その年齢でまだ映画を撮っている。
しかも趣味の延長みたいな創作じゃなく、ハリウッドの第一線で、巨額の予算と責任を背負いながら、新作を世に出し続けているわけです。
これはさすがに普通じゃない。
元気なおじいちゃんですね、で済む話ではないです。
映画って、現存する文化の中でもかなりクリエイティブな仕事だと思うんですよね。
体力もいる。知力もいる。判断力もいる。感性もいる。
しかも、撮るだけじゃなく、人も金もスケジュールも全部背負う。
そんな仕事を、90前後でまだ回している。
しかもリドリー・スコットって、ただ現役なだけじゃなく、いまだに映像やビジュアルイメージで観客を圧倒してくるタイプの監督なんですよね。
正直、ボケていないだけで万々歳、自分の足で歩けていたら十分すごい、くらいの年齢だと思います。
それなのに、まだクリエイティブ文化の最前線で“創る側”にいる。
やっぱりこれは、かなり異常だと思います。
若さを保っているというより、年齢を重ねて深くなっている
この二人を見ていて面白いのは、若作りしている感じがまったくないことです。
肌がどうとか、見た目年齢がどうとか、そういう話ではないんですよね。
むしろちゃんと年を取っている。
でも、それがマイナスに見えない。むしろ、年齢を重ねたぶんだけ深くなっているように見えるんです。
ここがすごく大きいと思っています。
若さって、どうしても失われていくものじゃないですか。
体力も見た目も、20代や30代のままでいることはできない。
でも、この二人を見ていると、年齢を重ねることは、必ずしも劣化だけではないんだなと思わされます。
顔つき、立ち姿、発言、仕事への向き合い方。
そういうものの中に、その人がどう生きてきたかがにじむ。
そして年を取るほど、そういうものは隠せなくなる。
逆に言えば、年齢を重ねるほど、内面やこれまで積み上げてきたものが外見に出るんだと思います。
だから私は、冴えない汚いジジイにはなりたくないなと思うんですよね。
これは見た目の話に聞こえるかもしれないけど、実際はそう単純じゃない。
見た目って、その人の生活や内面や、これまでの道のりがかなり出ると思うので。
この二人は、ただ老いていないんじゃない。
生き方が、ちゃんと顔に出ている。
そこがたまらなくかっこいいんだと思います。
この二人を見ていると、年を取ることが少し楽しみになる
私は今年で40になります。
40代って、やっぱり一つの節目だと思うんですよね。
若さだけでは押し切れなくなってくるし、良くも悪くも現実が見えてくる。
この先の人生とか、自分の限界とか、どう年を重ねていくかを意識し始める時期でもあると思います。
自分の場合は、子どもが生まれたことで、人生の主人公が少しずつ自分から子どもに移っていくような感覚もあります。
それは自然なことだし、大事なことでもある。
でもその一方で、自分の人生はこの先どうなるんだろう、という気持ちもやっぱりあるわけです。
その中で、リドリー・スコットとクリント・イーストウッドを見ると、すごく勇気をもらうんですよね。
希望、と言った方が近いかもしれません。
年を取ることって、ただ衰えていくことだけじゃないのかもしれない。
ちゃんと積み上げていけば、深みとか渋さとか自由に変えていけるのかもしれない。
人生って、40を過ぎたら下り坂一択というわけじゃないのかもしれない。
そう思わせてくれるんです。
もちろん、誰もが映画監督になれるわけではないし、イーストウッドやリドリー・スコットみたいな人生をそのまま真似できるわけでもない。
でも、「人生はまだこれからだ」と思わせてくれるだけでも、この二人の存在は大きい。
自分も晩年は、こういうジイさんになっていたい。
そう思える人が現実にいること自体、かなり希望だと思います。
40代以降って、この先どうなるんだろうと不安になりやすい時期ですよね。私自身、そういう不安が少し軽くなった感覚は、こちらの記事にも書いています。→人生なんとかなると思えるようになった話
この二人に共通しているのは、年齢より「毎日の土台」を持っていること
この二人を見ていると、どうしても「化け物すぎる」で終わりそうになります。
でも、それで終わらせたらたぶん何も学べないんですよね。
たしかに才能もあるし、情熱もすごい。
でも、情熱だけで90前後まで第一線を走れるほど、現実は甘くないと思います。
その裏にはきっと、毎日の過ごし方とか、仕事との向き合い方とか、自分をどう扱うかみたいな、地味だけど強い土台があるはずです。
私はそこに、この二人の本当のすごさがある気がしています。
年齢を重ねても老け込まない人って、特別な才能があるというより、日々を回すベースがしっかりしている。
この章では、リドリー・スコットとクリント・イーストウッドに共通していそうな、その「毎日の土台」について考えてみます。
「自分はもう年寄りだ」と決めつけない
クリント・イーストウッドの話で印象に残るのは、やっぱり「自分が年寄りだと思わない」という発言です。
これって、ただの気合い論ではない気がするんですよね。
人って、ある意味で、自分がどういう人間だと捉えているかに引っ張られるところがあるじゃないですか。
「もう若くないし」
「今さら無理だし」
「この歳で新しいことなんて」
そうやって自分で線を引き始めると、行動も少しずつそっちに寄っていく。
挑戦しなくなる。
学ばなくなる。
新しいものを面倒くさいで済ませるようになる。
そうやって、身体より先に意識の方が老け込んでいく。
逆に言えば、年齢を重ねても「まだ成長できる」「まだ新しいことをやれる」と本気で考えられている人は、完全には止まらないんですよね。
もちろん、年齢を重ねれば体力は落ちるし、若い頃みたいにはいかないことも増えると思います。
でもそこで、自分の可能性まで一緒に閉じる必要はない。
イーストウッドのすごさって、95歳で映画を撮っていることそのものだけじゃなくて、たぶんその前に、自分を“もう終わった側の人間”として扱っていないことにあるんだと思います。
これは、40代以降の僕らにとってかなり大きい話です。
年齢そのものより先に、自分の中で「もうこのへんでいいか」と決めてしまった瞬間に、人は老け込み始めるのかもしれません。
過去の評価や失敗より、今と未来を見ている
もうひとつ、リドリー・スコットの話でかなりいいなと思ったのが、学生時代の成績が31人中31番だったというエピソードです。
この話、私はかなり好きです。
若い頃の評価だけで見たら、未来の巨匠っぽさなんて全然ないじゃないですか。
少なくとも、最初から順風満帆に「才能ある人」として扱われてきた人の話ではない。
でも、そこからあの場所まで行った。
ここで思うのは、やっぱり人って、10代の頃に受けた評価や扱いにものすごく縛られやすいんだろうな、ということです。
たとえば学歴って、その典型だと思うんですよね。
10代のごく一部の時期に、勉強にどれだけ向き合えたか、どんな環境だったか、何に意識が向いていたか。
本来はその程度の話でもあるのに、そのときの相対評価を、大人になってからもずっと引きずる人は多い。
「自分は頭が悪い」
「どうせたいしたことない」
そういう自己認識も、意外と学生時代の試験や受験の記憶から来ていたりする。
でも、人生ってその先の方がずっと長いんですよね。
人はそのあともずっと変化するし、成長もする。
だからこそ、過去の成績や昔の評価をそのまま自分の限界にしない人は強い。
リドリー・スコットの話を見ていると、若い頃にどうだったかより、今どう動いているかの方がずっと大きいんだなと思わされます。
これは少し勇気が出る話でもあります。
若い頃に目立たなかった人でも、遠回りした人でも、途中でつまずいた人でも、そこで終わりじゃない。
過去に縛られず、今と未来を見て前に進める人は、老け込まない。
私はそう思っています。
若い頃の評価や“普通”のレールに縛られすぎると、人は思っている以上に身動きが取れなくなります。この感覚に近い話は、こちらの記事でも書いています。→“普通”のレールから外れてみて思ったこと
この二人は、老後を生きているのではなく、まだ人生を前に進めている
ここまで見てきて思うのは、やっぱりこの二人って、ただ長生きしている人ではないんですよね。
クリント・イーストウッドは、自分を「もう年寄りだ」と決めつけていない。
リドリー・スコットは、若い頃の評価や過去のラベルに縛られていない。
この二つに共通しているのは、年齢や過去を理由に、自分を終わった側の人間にしていないことだと思います。
これって、言葉にするとシンプルなんですけど、実際にはかなり難しいことですよね。
人って、年齢を重ねるほど守りに入りやすいですし、過去の評価や失敗も背負いやすい。
「もう若くないし」
「今さら無理だし」
「自分なんてこんなものだし」
そうやって少しずつ、前に出ることをやめていく。
でもこの二人は、そこに留まっていない。
もちろん、若い頃みたいな勢いだけで走っているわけではないと思います。
ちゃんと年齢は重ねているし、経験もあるし、若さの延長線で生きている感じでもない。
それでも、まだ前を向いている。
まだ新しい作品を出そうとしている。
まだ“創る側”にいる。
まだ人生を進行形のものとして扱っている。
だから、見ている側も希望をもらうんだと思います。
この人たちは、老後を静かに過ごしている人じゃない。
年齢を重ねながらも、まだ人生を前に進めている人なんですよね。
そしてたぶん、それは一日でできたことじゃない。
若い頃からずっと、自分を閉じないこと、過去に縛られすぎないこと、小さくても前に進み続けることを積み上げてきた結果なんだと思います。
そう考えると、この二人のすごさって、遠い才能の話だけではなくて、僕らが今から少しずつ学べる話でもあるのかもしれません。
老け込まない人は、食事・運動・体力づくりを軽く見ない



ここまで見てきて思うのは、やっぱり気持ちだけでは続かないということです。
リドリー・スコットやクリント・イーストウッドのすごさは、情熱とか仕事観だけで語りたくなります。
実際、それも間違ってはいないと思います。
でも、どれだけ情熱があっても、身体がもたなければ続けられないんですよね。
これはすごく当たり前の話なんですけど、意外と忘れがちです。
特に映画みたいな仕事は、頭が冴えていればできるものでもない。
体力もいるし、集中力もいるし、長い時間を踏ん張る力もいる。
感性だけでなく、身体そのものが仕事の土台になっている。
そう考えると、あの年齢でまだ第一線にいる二人って、やっぱり身体の扱い方も雑じゃないんだろうなと思います。
どれだけ情熱があっても、身体がもたなければ続けられない
好きなことがある。
やりたいことがある。
まだ前に進みたい気持ちもある。
でも、それを実際に続けられるかどうかは、かなり身体に左右されます。
睡眠不足が続いているときって、気力から削られていきますよね。
別に大きな病気じゃなくても、寝不足が続くだけで、思考は鈍るし、前向きさも落ちるし、ちょっとしたことが面倒になる。
運動不足も同じです。
体を動かしていない時期って、ただ筋力が落ちるだけじゃなくて、気分まで少しずつ重くなる感じがある。
行動するハードルが上がるというか、何をするにも億劫になりやすい。
これって結局、情熱の問題じゃないんですよね。
「やる気が足りない」じゃなくて、単純に土台が削れている。
だから、どれだけ好きなことがあっても、身体がもたなければ続かない。
逆に言えば、長く何かを続けている人は、その前提として身体の土台を軽く見ていないんだと思います。
リドリー・スコットやクリント・イーストウッドのすごさって、思想や才能だけじゃなくて、その情熱を受け止められる身体を保っていることでもあるはずです。
イーストウッドは、食事も運動も“現役でいるための前提”として積み上げてきた
クリント・イーストウッドについては、禁煙や日々の運動、野菜や豆を中心にした食生活など、身体を整える習慣が紹介されています。
こういう話を聞くと、やっぱりこの人は「健康に気をつけている」というより、現役でいるために必要なことを淡々と積み上げてきた人なんだなと思います。
ここで大事なのは、健康オタクっぽい話にしないことです。
サラダを食べて偉いとか、運動して意識高いとか、そういうことではない。
あの年齢で、まだ判断し、作り、背負い、前に出るためには、身体を雑に扱えない。
たぶんそれだけの話なんですよね。
若い頃って、多少無理してもなんとかなってしまう時期があります。
寝不足でも動けるし、暴食しても戻せるし、運動しなくてもそこまで困らない。
でも年齢を重ねるほど、それは通用しなくなる。
そして、その差はある日いきなり出るというより、日々の積み重ねとしてじわじわ出てくる。
だからこそ、あの年齢で現役の人たちは、思想だけじゃなくて身体の管理にも現実的なんだと思います。
理想論ではなく、続けるための前提として。
私たちも、将来のためではなく“今を削らないため”に身体を整えるべきだ
健康って、どうしても「老後のため」とか「病気を防ぐため」みたいに語られがちです。
もちろんそれも大事です。
でも、個人的にはそれ以上に、今の人生を削らないために身体を整えることが大事だと思っています。
睡眠不足が続く。
運動しなくなる。
疲れが抜けない。
そうなると、まず仕事がしんどくなる。
でも問題はそこだけじゃないんですよね。
疲れすぎて趣味に触れられなくなる。
帰ってきても何もする気が起きない。
仕事と家の往復だけで一日が終わる。
そういう日が続くと、人ってじわじわ老け込んでいく気がするんです。
身体が削れると、心も削れる。
心が削れると、自分の好きなことや、人生を前に進める感覚まで失いやすくなる。
だから、睡眠や運動って、ただ長生きのための準備じゃない。
今の自分が、仕事以外の時間までちゃんと持てるかどうかの話なんですよね。
これはかなり大きいと思います。
どれだけ立派な理想を語っても、毎日ヘトヘトで、趣味にも触れられず、ただ仕事をこなして寝るだけの生活になっていたら、人生はどんどん薄くなっていく。
逆に、睡眠と運動が少し整うだけで、考え方も動き方もかなり変わる。
だから僕は、運動と睡眠は最重要だと思っています。
老後のためというより、今をちゃんと生きるために。
リドリー・スコットやクリント・イーストウッドを見ていると、情熱とか才能ばかりに目が行きがちです。
でも、その情熱を長く支えているのは、たぶんこういう地味な土台なんだと思います。
仕事だけで毎日が終わらないようにするには、体調管理だけじゃなく、生活全体の質を上げる視点も大事です。このあたりは、QOLについて書いた記事にもつながります。→QOLを上げるために意識していること
私たちでも今から真似できる、生涯現役の土台の作り方



ここまでリドリー・スコットとクリント・イーストウッドのことを見てきて思うのは、やっぱりこの二人をただ「すごい人たち」で終わらせるのはもったいない、ということです。
もちろん、そのまま真似できるわけではありません。
生きてきた時代も違うし、仕事のスケールもまったく違う。
そもそも、誰もが映画界の巨匠になれるわけでもない。
でも、だからといって「別世界の人だから関係ない」で終わらせたら、たぶん一番おいしいところを取り逃がすんですよね。
大事なのは、あの二人の人生をコピーすることじゃなくて、どんな土台があるから、ああいう年の重ね方ができるのかを、自分の生活に翻訳することだと思います。
僕らは僕らで、今いる場所から少しずつ積み上げていくしかない。
でも逆に言えば、それで十分なのかもしれません。
年齢を理由に、自分を小さく見積もらない
年齢を重ねると、どうしても「もう若くないし」と言いたくなる場面が増えますよね。
新しいことを始めるとき。
体力が落ちたと感じるとき。
昔みたいにはいかないと実感したとき。
そういう瞬間に、人はつい自分を少しずつ小さく見積もり始める。
でも、たぶんそこで一気に老け込むんだと思います。
もちろん、若い頃と同じようにできないことはある。
それは現実としてあると思います。
ただ、だからといって、自分の可能性まで一緒に縮める必要はないですよね。
リドリー・スコットやクリント・イーストウッドを見ていると、年齢そのものよりも、自分をどう扱っているかの方がずっと大きい気がします。
自分を「もう終わった側の人間」として見るのか、まだ成長できるし、まだ何かを生み出せる側の人間として見るのか。
この差はかなり大きい。
40代でも50代でも、場合によってはもっと上でも、人生はまだ全然続いていく。
それなのに、自分の中で勝手に「このへんで打ち止め」と決めてしまうのは、やっぱりもったいないです。
年齢を受け入れることと、年齢を言い訳にすることは、似ているようでたぶん全然違う。
ここは、意識して分けておきたいなと思います。
毎日少しでも、“積み上がるもの”に触れる時間を持つ
個人的には、ここがかなり大事だと思っています。
人が老け込むときって、単に年齢を重ねるからじゃなくて、毎日がただ消耗で終わるようになったときなんじゃないかなと。
仕事して、疲れて帰って、なんとなくスマホを見て、寝る。
また次の日も同じ。
もちろん、そういう日があるのは普通です。
私だって全然あります。
でも、そればかりになると、人生が少しずつ薄くなっていく感覚があるんですよね。
逆に、毎日少しでも「これは積み上がってるな」と思えるものに触れていると、感覚が変わる気がします。
私の場合、それは朝活であり、筋トレです。
筋トレは今も最優先で続けていますし、長い目で見れば最高の自己投資だと思っています。
先月より少し身体が強くなったなとか、前より気持ちが安定してきたなとか、そういう感覚がちゃんとあるんですよね。




こういう“積み上がる時間”をつくるうえで、私は朝の時間の使い方がかなり大事だと思っています。朝活については、こちらの記事でも詳しく書いています。
一方で、読書やブログは少しペースが落ちている時期もあります。
でも、読書をちゃんと続けていた時期は、考え方や視点が少しずつ積み上がっていく感覚がありました。
あとは、やっぱり映画ですね。
ホームシアターで映画を観ながらのんびりする時間は、単純にかなり幸せです。
でもそれだけじゃなくて、映画ってちゃんと感性とか記憶として残るんですよね。
YouTubeをだらだら見ている時間も楽ではあるんですけど、下手したら翌週には何を見たかも覚えていない。
一方で映画って、刺さった作品は何年経っても結構覚えているし、場面や感情ごと残っていたりする。
そういう意味でも、映画は自分の中に積み上がるものなんだと思います。
こうして考えると、趣味でも運動でも学びでもいいから、自分の中に何かが残る時間を持つことがかなり大事なんじゃないかなと思います。
それがあると、年齢を重ねることも「ただ減っていく」感じではなく、少しずつ積み上がっていくものとして見やすくなる。
これはかなり大きいです。
若さを追うより、深くなっていく方向に積み上げる
たぶん、今回の話のいちばん大事なところはここなんだと思います。
リドリー・スコットやクリント・イーストウッドを見ていて思うのは、二人とも若さにしがみついていないことです。
若く見せようとしているわけでもないし、無理に昔の延長線で勝負している感じでもない。
でも、だからこそかっこいい。
むしろ、年齢を重ねたぶんだけ深くなっているように見える。
ここが希望なんですよね。
どうしても年齢を重ねると、「若さが失われる」ことばかりに目が向きがちです。
体力、見た目、スピード、勢い。
たしかに、若い頃のままではいられない。
でも、失うものがある一方で、深くなるものもあるはずです。
経験。
落ち着き。
判断の重さ。
言葉の厚み。
顔つきや雰囲気に出てくる、その人がどう生きてきたかという積み重ね。
そういう方向にちゃんと年齢を使えたら、年を取ることはそこまで悪い話じゃないのかもしれません。
私はやっぱり、冴えない汚いジジイにはなりたくないんですよね。
これは見た目の話だけに聞こえるかもしれないけど、たぶん違う。
内面も生活も、積み上げてきたものも、全部ひっくるめて外見に出ると思うからです。
だからこそ、若さを追うより、深くなっていく方向に積み上げたい。
筋トレでも、読書でも、映画でも、仕事でも、自分の中にちゃんと残るものを増やしていきたい。
そうやって日々を積み上げていった先に、少しでも渋くて、少しでも自由で、少しでも前向きな年の重ね方があるなら、悪くないなと思います。
リドリー・スコットとクリント・イーストウッドは、たぶんその可能性を現実に見せてくれる存在なんですよね。
まとめ
リドリー・スコットやクリント・イーストウッドのような人生を、そのまま真似することはできません。
生きてきた時代も違うし、背負ってきたものも、仕事の規模もまったく違うからです。
でも、この二人を見ていると、年を取ることはただ失っていくことだけじゃないんだなと思わされます。
正直、年齢を重ねるのは少し怖いですし、不安もあります。
若い頃みたいにはいかなくなることも増えるし、この先どうなっていくんだろうと考えることもある。
それでも、ちゃんと積み上げていけば、年齢は深みや渋さにも変えられるのかもしれない。
人生は、ある年齢を超えたら終わりではなく、そこからまだ育っていくものなのかもしれない。
この二人は、そんな希望を現実に見せてくれる存在です。
大事なのは、若さにしがみつくことじゃなく、日々を雑に扱わないこと。
身体を整えること。
過去に縛られすぎないこと。
そして、少しでも自分の中に積み上がるものに触れ続けること。
そうやって毎日を重ねた先に、少しでも渋くて、少しでも自由で、少しでも前向きな年の重ね方があるなら、悪くないですよね。
私も、人生の晩年はただ老け込むんじゃなく、少しでもこういうジイさんに近づけたらいいなと思っています。













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