運営者プロフィール




こんにちは!運営者のSOSSUです!
- 本業は会社員です。ECサイトの運営・販促企画などをやっています。
- 1980年代生まれの30代。出身は大阪です。
- 妻と息子(2025年現在2歳)の3人暮らしです。
- 趣味は旅行、映画、ゲーム、サッカー観戦、ラーメンです。
この度は本サイトにアクセスして頂きありがとうございます。
リーマンサバイブルは『悩み、苦しみながら頑張る会社員・社会人に向けた情報発信メディア』です。
働いていたら苦しいこと、悩んだりすることばかりですよね。
僕もそうでした。(というか今もですが、、)
ですが、自分なりにもがき考えながら一歩ずつ前に進んで来ることが出来ました。(昨年には息子を授かる事ができました!)
僕の人生、特に社会に出てから順風満帆だったことはほとんどありません。




ほんまに色々ありました…
社会のレールから外れたこと、ブラック企業で残業しまくったこと、パワハラを食らったことetc..
色々とありましたが、スキル習得・転職活動等に挑戦し、現在はなんとかプライム上場の会社に
潜り込むことができたこともあり、充実した生活を送ることが出来ています。
そんな自分の経験から、皆様の悩みに共感し寄り添いながら共に成長していけるような
情報発信をしていけたらな、と考えています!
ざっくりした経歴
色々と遠回りしながらの人生ですが、全てが必要な経験で今に繋がってるんだと思っています。
趣味・プライベートなど




最近のプライベートの過ごし方はこんな感じです。
休日は午前中に頑張る系の趣味の時間を過ごす。
午後にリラックス系の趣味の時間を過ごす。
頑張る系の趣味
頑張る系の趣味は、好きでやっているというか、そのときは結構しんどいけど、終わってから充実感がある、自分を成長させるための趣味という感じです。短期的には結構しんどいけど、長期的には幸福や充実感をもらたしてくれるものというイメージです。
- 早寝早起き、朝活
- 運動・筋トレ
- カフェで読書、このブログの作業をする。
こんな感じです。休日も早起きして、早朝にジムに行き、40分ほどトレーニングしてから帰宅してシャワーを浴びる。支度をして子どもを保育園に預ける。その後、2時間ほどカフェでブログ作業や読書をして昼ご飯。てな感じです。
リラックス系の趣味
13時ぐらいから16時の子どもを保育園に迎えにいくまでの時間が貴重なリラックスタイムです。(本当に一瞬で終わってしまう、、)リラックス系の趣味は映画とゲームです。旅行も好きですが、特に子どもが生まれてからはあんまりいけてないです。
趣味の時間は3時間ほどなので、映画かゲームの2択になります。映画みたら1本みたらほぼ終わってしまうんですが、、
最近、BAR 1000というJBLのめっちゃいいサウンドバーを買ったんですよ。サブウーハー付で重低音が凄く、サウンドバーが分離してワイヤレスのリアスピーカーになるやつ。これでリアルサラウンドの音響が実現出来て、映画がめっちゃ楽しいです。(良かったらググってみてください!オススメです。本当に映画体験が全く別物になります。
ジャンルはSFとか(コンタクト・インターステラーとかゴジラとかジュラシックの怪物系も好き)、アクション系の洋画をよくみています。最近トム・クルーズがめっちゃ好きですね。『トップガンマーヴェリック』が凄かったです。『ミッション・インポッシブルシリーズ』に最近ハマりだして過去作を見ていってます。『ナイト・アンド・デイ』もめっちゃ良かった、、
2025年6月更新
ミッション・インポッシブル ファイナルレコニングをIMAXで観に行ってきました!アクション・スタントがすごすぎて、なんか映画というかトム・クルーズの人生や魂を観てるような気持ちになりましたね。
あとはブラピも好きです。『ファイトクラブ』や『ワールドウォーZ』辺りが好きですね。アンジーと共演したやつも良かったですね。他にも色々みたいです。あと、『ジョン・ウィック』も最近みて面白かったので、シリーズ見て行きたいですね。キアヌ・リーブスもカッコいいですね。トム・クルーズ、ブラッド・ピット、キアヌ・リーブス全員60代って本当にすごいですね。自分もがんばろう。
あとシャーリーズ・セロンも好きで、『アトミック・ブロンド』がめっちゃかっこよかったです。ネトフリオリジナルの『オールド・ガード』も良かったです。
ゲームは基本はRPGが大好きです。ドラクエ・FF等の王道JRPGも好きですし、洋ゲーのオープンワールド系もやります。
最近で言えば『FF7リバース』がボリューム含めて凄かったです。あんまり時間が確保出来ないのでクリアまで半年ぐらいかかりましたが、、、あとは『ライズオブザローニン』がめちゃくちゃおもしろかったです。新選組とか幕末の時代が元々好きですし、操作性もめっちゃ快適でやってて止まらなかったですね。FF7リバース中断してライズオブザローニンばっかりやってしまいました。
2025年6月更新
今、DEATH STRANDING2に向けて、積んでいた前作をプレー中、、副業や育児やら映画やらと時間の確保が難しく、発売日までのクリアが難しそう、、、ってのは置いといて本当にすごいゲームですよね。世界観の構築とか、脚本・演出、そして何より既存のゲームとは全く違うゲーム性、、これを採算の取れる形で作品としてリリースしていることがまず凄すぎますね。もちろん、賛否両論分かれる作品ですし、特に序盤は苦行のようなゲームですが、ひとつの作品として物凄いなと感じます。旅行や散歩好きな人、SF映画、ロードムービーが好きな人にはかなりオススメ出来ます。そして続編であるDEATH STRANDING2は事前情報や映像を見る限り間違いなく神ゲーのはずです。
あとは王道ですが、ベセスダ系のゲームが好きでスカイリムやフォールアウトが好きなんですけど、次回作いつになるんでしょうね、、Starfieldもやりたいんですが、それだけのためにXbox買うのもあれですし、、、
2025年6月更新
と思っていたら、Oblivionのリマスター版が発売されましたね。当時XBOX360でちょろちょろやってたのを思い出します。これもやりたいんですが、デスストの1と2、そして10月に発売されるゴーストオブヨウテイとスケジュールが詰まっててやる暇が無い、、
おっと語りすぎました。
筆者の人生
『普通の人生というレールから外れたとき』という趣旨の記事を書きました。
その記事内で筆者の人生ダイジェストを書きましたので、こちらのページにも掲載しておきます。
全文はこちらの記事をご参照ください。
新卒での就活に失敗
学生時代はあまり勉強にもスポーツにも打ち込むことはなく、Fラン大に進学します。ある程度友人には恵まれましたが、何回か言及しているように、新卒での就活に失敗します。人前で話すことが極度に苦手でした。また、人間的にも今思うとかなり未熟でした。
友達や同世代がみんな新卒で社会人として働いている中で、学生という肩書を失った自分はレールを外れなんの組織にも所属していない無職となりました。その後、学生時代から働かせてもらっていたコンビニにバイトとして戻ることになりました。
自分の場合は実家住まいでしたし、親も優しかったのですぐに生活に困るということはなかったのですが、やはり「何らかの組織」に所属していないという状況は精神的にかなり応えます。たとえコンビニのバイトであったとしてもそこに所属しているとかなりの安心感がありました。
就職支援施設に通い出す
晴れてフリーターとなってから、大体2年後ぐらいだったかと思うのですが、昔、心斎橋の東急ハンズの近くにあった就職支援施設に通い出しました。(恥ずかしながら、きっかけは当時の彼女に振られたからです…)
この施設の職員の方々には大変親身になってサポートして頂き、本当に感謝しています。また、同じく就職を目指して頑張っている人達がいて、グループワークとかもあったり、孤独感とか不安感とかも忘れさせてくれました。
なにより、未来に向かって行動を起こしているという自分に少しだけ自信が持てましたし、何かの一歩を踏み出すということの大切さを実感しました。
アパレル系の仕事を始める
就職支援施設で色々と親身になり就活をサポートして頂きました。コンビニのバイトと平行して施設に通い、就活してた形です。
紆余曲折あり、アパレルの仕事を始めることになりました。しかし、これでメデタシメデタシとなるわけもありません。一応採用してもらえましたが、正社員を目指す準社員?という名のアルバイトです。
そして、非常に残念ながら、お世話になってた就職支援施設が運営方針により解消してしまうという事になりました。アパレルの仕事は社員ではありませんでしたが、施設がなくなるギリギリに決まったので、とりあえず頑張ってみようという形でチャレンジしてみることにしました。
地獄の日々
某アパレル会社で販売員として働き始めましたが、これが結論からいうと失敗でした。
あまり細かくネガティブなこと書いても仕方ないので詳細は割愛しますが、主に以下の2点が自分に合わなさすぎました。
- 人間関係と争い
- ビジネスモデル、売り方
人間関係の部分ですが、これは会社の問題ではなく店舗ガチャに外れた形です。基本的には一定の売上成績がないと社員にはなれませんが、我の強い先輩社員にパワハラまがいのことを受けてまともに接客させてもらえませんでした。バイトの分際で俺の客とるんじゃねーよ。みたいな感じです。
また、ビジネスモデルについてですが、あまり言えませんが、人の良いお客様には高く売って暴利を得る、そうでない人には割引する、みたいなのが自分は良心が傷んでやりがいを感じる事ができませんでした。利益の取り方がおかしいと感じたのです。
まぁネガティブなことはここまでにしておきましょう。とにかくめちゃくちゃ合わなくてきつかったです。さらに、幼少期から自分の子供のように可愛がっていた愛猫との永遠の別れもありました。
筆者は仕事もプライベートもどん底の状態にいました。
失敗から教訓を得る



アパレルでの仕事は、本当にわかりやすい失敗でした。
「人生甘くないな…」と何度も思いましたね。しかし、この経験から多くの気付きを得る事ができたのです。具体的には以下の3つです。
- やりがいは必要
- 同じ職場で働くひとに喜んでもらいたい
- せめて苦手じゃない仕事
やりがいは必要
まず一つ目に、仕事の「やりがい」は大切だということ。学生時代から、仕事はできればやりたくないものだし、やるとしたら
「休みが多くて残業が少なくて、出来れば給料がいい。」
「それ以外に選ぶ基準ある?やりがいってなに?」
みたいな感じで考えていました。もちろん、休み多くて残業少なくて給料がいい方がいいのは当たり前なんですが、やりがいを一切感じられない仕事は結局長くは続かない。心の体力を消耗しすぎるということに気が付きました。
同じ職場で働くひとに喜んでもらえるタイプの仕事
二つ目に、チームワークのある仕事がいいということ。
これは、自分がした仕事が、チーム内の人たちにも喜んでもらえる仕事がいいと感じたからです。アパレルの仕事では、例のパワハラ野郎を筆頭に、人を蹴落として自分の数字を得る、みたいなやり方に躊躇を覚えないような人がベテランとなり長く生き残っている印象でした(全員がそうではありません。特殊な店舗だった可能性もあります)。
数字を上げようと自分が頑張るほど、職場内の同僚から恨みを買ってしまう。これはもう仕事のスキルアップとか以前の問題でした。そのような状況は、自分には向いてなさすぎたのです。
せめて苦手じゃない仕事
三つ目に、多少なりとも適正のある仕事がしたいということ。
アパレルの仕事をしていて気がついたのは、明らかに苦手な仕事をしていると、めちゃくちゃ頑張っても普通の人ぐらいのポジションにいけるかどうか、ぐらいに収まってしまうということです。
そもそも、普通のポジションにいけるかどうかが怪しい。人に気遣い、調和を重視するような性格の場合、強引さを必要とするような仕事をしていると明らかに分が悪い。そういった事に気が付きました。
人生の転機。WEBデザイナーを目指すことに決める
アパレル会社での経験から、自分の人生や仕事について深く考えるようになりました。
「何が自分に向いているのか?」
「そもそもスキルもないフリーターが仕事なんて選んでられるのか?」




学生時代の就活では、ここまで自問自答して考えることは正直なかったです。
なぜなら、筆者が新卒で就活しているときって、文系であれば営業職か販売員かのほぼ2択だったのです。職種の選択肢が相当に限られている。
正直、陰キャタイプな自分は、営業職とか販売員に向いてないことはわかっていました。そして、ネットでパソコンをよく使っていて普通の人よりは多少扱いにこなれていることもあって、事務的な仕事がしたかったのです。ですが、当時は基本的に事務職は女性の採用枠しかなかったのです。(あったとしても簿記とかみたいな資格・スキルが必須だったと思います。)
学生時代と違い、完全にレールから外れてフリーターとなっていた筆者は、アパレル会社で正社員を目指すという道もなくなった状況で、完全に岐路にたたされていました。
ネットで様々な情報を探しまくっていたとき、【WEBデザイナー】という職種にふと惹かれている自分がいました。今考えると恐らく、アパレルでの経験を踏まえて考えていた仕事観と一致したんだと思います。
デザイナーという響きから、デザインに特化したスキル(デッサン能力とか)を持っているだとか、デザイン系の学校を出ていないと無理だと先入観から考えていたのですが、色々と調べてみるとそうでもないことがわかりました。
そして、ネットの情報で30歳未経験からWEBデザイナーになったという実例などが紹介されているのを見て、自分の感情がハッキリ動いたのを今でも覚えています。
「これしかない」
人生で初めて明確な目標が生まれた瞬間でした。
職業訓練に通い始める
WEBデザイナーを目指すと決めた筆者はすぐに行動を開始しました。
知り合いに職業訓練校の存在を教えてもらい、そこに通ってスキルを身に着けようと考えたのです。




職業訓練は給付金をもらいながら、特定分野の仕事について勉強できる制度です。
結局アパレルの仕事をしていたのは1年ほど。退職後すぐにハローワークに職業訓練の応募に行きました。
学校の種類が何種類かあり、人気のある所とかもあるようです。一度、人気校を受けたときは、結構大きな会場で面接とか筆記試験があったのですが、そこの選考には落ちてしまいました。
その後、もう一度受けて無事合格。晴れて職業訓練に通い始めることとなりました。
結果から言うと、職業訓練校に通うという決断は、本当に人生の転機だったなと後から振り返って感じています。




職業訓練校については、記事にしていますので良かったら御覧くださいね。
訓練校で新しい一歩を踏み出す。しかし…
職業訓練校に行くという決断は大正解でした。
筆者の人生の中でもトップ3に入るくらいの好判断だったと言ってもいいです。
自分はそれまで割と無気力に生きてきた部分もあり、明確な目標ができたことが本当に嬉しかったんです。だから授業は集中してかなり頑張りました。受け身でやっていたらWEB業界に就職なんて無理だと思っていたからです。
訓練校で過ごした時間は4ヶ月ほど。同じ立場の受講生ともいい関係を築かせてもらい、本当に前向きに楽しくスキルを習得することが出来ました。
スキルを身に着けたと言っても、基礎的な部分のみだったので、いきなりの正社員採用というのは難しいとも感じていました。なので、まずは実務経験を積むことを重視して、雇用形態は正社員などにこだわらずに仕事を探そうと考えていました。
そして、訓練校を修了してほどなく、希望通り正社員登用を前提としたアルバイトでのフルタイム勤務という形での仕事が決まったのです。この時点でたしか27〜8歳でした。30歳までにWEBデザイナーとして就職するという目標が近づいてきたという手応えがありました。




が、ここからまた社会の厳しさに直面することとなります。
社会の厳しさ(理不尽さ?)に直面する
決まったのは、確か社員数20人ほどの中小規模のECサイトを運営している会社です。
厳密にはWEBデザイナーというよりも、ECサイトの運営というポジションでした。EC系よりも、クライアントから仕事を受注するような制作会社の方がスキル的には成長できるだろうな、という考えはあったのですが、とりあえずオフィスに座ってパソコンで仕事をするという形で仕事ができることが、まず嬉しかったのを覚えています。
仕事自体は割と順調でした。訓練校でしっかり頑張っていたおかげかECサイトの基本的な更新業務とかはかなりスムーズにこなすことが出来ていました。同じチーム内の先輩や上司にも認められ、そこそこ評価も受けていた思います。が、、、
会社のナンバー2的なポジションの人に嫌われてしまったのです。
ある時、面談で試用期間から本採用?にうつるときの契約を更新しない旨を伝えられました。要するにクビになったのです。
業務的にはそこそこスムーズにこなせていましたし、チーム内の人ともいい関係を築く事もできていました。もちろん遅刻等の問題行動を起こしたわけでもありません。正直意味がわからなすぎて、目の前が真っ白に、頭がズーンと重くなったことを覚えています。




今考えると自分も若く社会性などが少し欠けていた部分もあるな、と反省する点はあります。にしても厳しいとは今でも思いますが、、
新たな出発
さて、またしても道が閉ざされてしまったわけですが、チームの人たちはその後飲み会を開いてくれたり、「ストレングス・ファインダー」という本をプレゼントしてくれたり、ほんのり転職を考えていたという先輩からは「〇〇君を後継者にしようと思っていたのに…」というような言葉をかけてもらったりと、非常に温かい対応をしてくれました。
後から聞いた話によると、チームの方たちが会社へ異を唱える形で「ちょいボイコット」のようなことまでしてくれたようなのです。(残業が常態化していた会社でしたが、全員定時になったらすぐ帰るってをしばらくやってたみたいです。)
普段の実務や態度を見てくれている、現場の人達の信頼を掴めていたことは少しだけ自信にもなりました。ですが、結局会社という組織ではそれはごく一部の側面でしかなく、上層部の鶴の一声で立場が崩れる。そういったことも人生経験として勉強になりました。(このような経験が「会社に頼らず自力で生きていけるようになる」という今の自分の指針になっているのかもしれません。)
まさに社会の厳しさに直面したわけですが、WEB職種としての実務経験を積むことが出来たことはポジティブに捉えていました。この経験を元に「次はWEB制作会社に挑戦しよう」と考えていたのです。
しばしニート生活
前職で働いて少し貯金が出来ていたので、しばらくニートしながら図書館等に通ってWEB制作のスキル等を勉強したりしていました。もちろん将来とか不安だし、せっかく若かったのにお金も自信もないから同世代の充実してる人たちが眩しく見えました。
と、同時に何にも縛られずに、パソコンを開いて図書館とかで作業している時間もなんか好きでした。もちろん、実家暮らしだから出来ていたことなんですが…。このような経験から、将来的にはフリーランスとか個人事業でやっていきたいという願望が生まれたのかも…
人生最大の苦境



数ヶ月のニート生活を経て就活を再開。
WEB制作会社に数社応募しました。その中でも選考過程で制作テストみたいなのがあったり、結構厳しそうな会社のテストをクリアして合格しました。勤務場所が結構遠くて、家から1時間20〜30分かかる場所だったのですが、スキル的な成長が望めそうなので、チャレンジしてみようということで、WEB制作会社の社員となりました。(形態としては契約社員でした)
結論から言うと、この会社が人生史上最悪のブラック会社で、その会社で働いていた時が人生で最も苦しかった時間でした。
人間、労働時間、業務内容全てがマジできつかったです。残業代は出ず(裁量動労制という名の残業し放題制)、テナントとして入っているビルの消灯時間(22時)まで毎日残業し、家に帰るのは23時半、翌日は7時半に家を出るという感じで最低限の入浴・食事・睡眠以外は何も出来ないという生活でした。
何よりヤバかったのは上司の人間性です。とりあえずパワハラと暴言がヤバかったです。何かにつけて、常に喧嘩腰。「こんな仕事出来ないやつ初めて見たわ」みたいな暴言が当たり前のような状況でした。仕事的にも制作会社は求められる水準が高く、かなり厳しかったです。




筆者は長時間労働とパワハラで、本当に心身ともに追い詰められてしまいました…。
この会社で追い詰められたことによって、この後しばらく自分への自信を失い、なんかおどおどした性格になってしまった気がします。これが元通りになるまでに、数年はかかりました。
このままでは本当にヤバいと思い、試用期間から本採用に移る時の面談で勇気を振り絞って退職の意を伝えました。今思うと、そんな勇気を出すとこでも気を使う所でもないんですが、当時は強気に出ることが出来なかったです…。
一筋の光を掴む
この会社では絶望的な時間を過ごしましたが、筆者はその中でもわずかながらの自信を掴む事ができました。
人間関係もスキル面も厳しく、死ぬほどきつい日々だったのですが、退職する直前ぐらいには、技術面の壁を超えつつあると感じたのです。メインで教えてくれていた人が、少しばかりの信頼と自分の頑張りを認めてくれつつあったようで割と気軽にお話もできるようになっていました。また、1日だけ例のパワハラ上司が体調不良で休んだことがありました。その時、あれだけ嫌できつかった仕事が少しだけ楽しく感じたのを覚えています。
例のパワハラ上司さえいなければ、自分にとってレベルの高かったWEB制作会社でも「なんとかやっていけるかもしれない」という一筋の光のようなものを感じていたのです。
少し小難しい表現をすると、内的要因(自分の頑張り・取り組み)と外的要因(他者の人間性や会社の環境)を分けて考えると、内的要因の部分で今の自分にできることはやれたと感じていました。しかし、外的要因にどうしようもない問題が多すぎたので、自分を守るために環境を変えざるをを得なかったのです。
次のステップへ。ようやく正社員となる
最悪のブラック企業を抜け出し、しばしの休息の後に就活を再開しました。
求人を色々と眺めていたのですが、なんと、ある求人のスタッフの写真の中に職業訓練時代の同期が写っていたのです。




制作会社ではなく、小さなアパレルメーカーでECメインの事業を展開している会社でした。
当初は制作会社でスキルを磨きたいという気持ちが強かった筆者でしたが、前職の経験でメンタルが弱りきっていたため、なんでもいいから人間関係のリスクを減らしたいという思いが強かったのです。(写真に写っていた人は仲良くさせてもらっていた人でした)正直、全体的にかなり未成熟な会社で給料もかなり安かったのですが、とにかく知り合いがいるという安心感を求めてその会社を受けることを決めました。
結果から言うと、無事合格。数ヶ月の試用期間を経て無事正社員となりました。
体育会系の半ブラック企業で経験を積む
数度の挫折を経て、ようやく正社員となった筆者。この時、確か29歳でした。
「やっと外れたレールから戻れた…」という安堵感はなく、毎日必死でした。
というのも、今回の会社も一般的には普通にブラック企業でした。が、前職で地獄を経験していたので、あの時に比べれば…という精神で毎日乗り越えていました。この会社で過ごした期間は5年ほどでしたが、その間に自分より後に入った人が何人も退職していきましたし、5年ほどなのにかなりベテラン感のあるポジションにいましたね。
この会社は、上層部のおじさん達がわかりやすい体育会系で根性論と挨拶を重んじる、という感じのシンプルなブラック企業でした。プラス、長時間残業と肉体労働・雑用が異常に多いという形です。パワハラまがいの叱責等もありましたが、前職の上司と比べると人情味があり、完全には憎みきれないという形で、心をズタボロにされるというところまではいきませんでした。
また、前職では自分がスキル的に最下層でしたが、WEB制作会社で経験を積んでいたのと、割と未成熟で若い会社でしたので全体のレベルも高くはなく、入社時点で自分は「そこそこスキルに秀でている」という扱いを受けていました。といっても、そういった実務能力のみでやっていけるほど社会は甘くないというのは過去の経験からわかっていましたので、受電対応や力仕事・雑用等も率先して頑張っていました。
まさに馬車馬のように働きました。
ついにステップアップの転職に成功。現在に至る。
体育会系ブラック企業で働いていた約5年で多くの経験を積む事ができました。
平社員から役職も一つ上がり、ECショップの店長的なポジションにも就いていました。
この会社でのブラック企業的エピソードは数知れず、給料もめちゃくちゃ安かったですが、正社員として雇用してもらえたこと、多くの経験を積ませて頂いたことには感謝しています。とはいえ、この給料と職場環境では長くやっていくのは厳しいというのはずっと感じていました。(もちろん退職金等の制度はありません。)
なので、求人情報等はずっとチェックしていました。
本腰を入れて就活するために、就職エージェントにも登録し、求人情報や書類の作成にも力を入れ始めました。




結果として、3社の面接を受け、そのうちの1社に内定を頂きました。
内定を頂いた会社は、正直受けていた中でも1番条件が良く(プライム上場企業だった)、ダメ元で受けたのですが、運良く書類にも通り、運良く当日の面接の出来が絶好調でした。これは本当に運が良かったと思います。現在もこの会社で働いている形となります。
現在の会社は、過去のブラック企業たちが嘘のような環境です。1分単位で残業代が支給されますし、そもそもほとんど残業していません。平均勤続年数も長いですし、退職金制度もあります。




今の会社に入って「ようやく普通のレールに戻ってきたんだな」という実感がありました。
もちろん、嫌なこともなくはないですし、仕事が正直つまらないという別の悩みも生まれてはいますが、ある程度安定した日々を送ることが出来ています。今は割と淡々と日々が過ぎていく感覚です。改めて、過去の経験は良くも悪くも濃密だったんだな、というのも感じています。




ざっくりこんな感じです!
よろしくお願いします!
なにかお問い合わせなどありましたら、こちらからご連絡ください!
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